
大相撲であった珍事 - 大相撲大好き❤️
2025/12/15 (Mon) 17:54:52
大相撲であった珍事を送ってください
来場所の番付予想をしよう! - 大相撲大好き❤️
2025/12/15 (Mon) 17:49:05
場所が終わるごとに来場所の番付予想をしよう!
例 豊昇龍 横綱 大の里
琴 櫻 大関 安青錦
霧 島 関脇 髙 安
王 鵬 小結 一山本
・
・
・
みたいな感じです
三役だけなどの予想でも大歓迎です
どんどん返信お願いします
不思議な番付編成 - 西の関
2025/11/09 (Sun) 17:23:27
昭和29年秋場所は東小結朝潮から西前頭筆頭出羽錦まで5人連続(朝潮・北ノ洋・羽嶋山・双ツ龍・出羽錦)で6勝9敗でした。
ttps://sumo-hositori.com/S20/S29-9.html
当然、続く30年初場所の番付は、途中他の力士が入り込むにしても、この5人は秋場所と同じ順番に並ぶはずです。ところが実際は、朝潮・北ノ洋・羽嶋山・(大起・)出羽錦・(潮錦・琴ヶ濱・)双ツ龍で、双ツ龍と出羽錦が逆転しています。
ttps://sumo-hositori.com/S30/S30-1.html
東西制でもないのに不思議な現象です。
Re: 不思議な番付編成 - しろしたかれい
2025/11/11 (Tue) 22:13:10
昭和29年秋場所7日目出羽錦は関脇大内山と対戦しましたが、行司庄太郎のミスと時津風検査長の裁定により不利な姿勢から取り直しならぬ組み直しとなり後味の悪い形で敗れました。(Wikipediaの物言いの項に詳しいです)
この勝負は大きな波紋を呼んだようで相撲11月号(秋場所総決算号)にまるまる1ページ使って紹介された他数カ所で記事となりいずれも出羽錦に同情的な論調でした。
これを理由に30年初場所の番付で出羽錦に配慮したという公式な記事は見つかりませんでしたがおそらくそのような理由と思われます。
Re: 不思議な番付編成 - 西の関
2025/11/11 (Tue) 23:13:43
しろしたかれいさん、ありがとうございました。昭和29年の秋場所総決算号には確かに該当記事が見つかりました。大相撲アーカイブ場所でも実際の取組を見てみましたが、確かに「Wikipediaの物言いの項」にあった通りの相撲内容でした。
もしかしたら30年初場所の番付発表後の「相撲」誌でなにか見つかるかもしれませんので探してみます。
私もおそらくそれがこの変則編成の理由と思います。
(添付画像は昭和29年秋場所総決算号の目次。真ん中辺に「大物言いの一番 大内山-出羽錦」とあります)
Re: 不思議な番付編成 - 西の関
2025/11/23 (Sun) 16:24:39
意外な所で見つけました。
雑誌「相撲」昭和55年名古屋場所展望号掲載、渡辺港太郎氏の「記録の手帖」です。155ページに該当する記事があり、昭和29年秋場所7日目の大内山-出羽錦戦に関して、担当行司木村庄太郎が翌日謹慎になったこと、出羽錦の負けがノーカウントとされ6勝8敗扱いで番付が編成されたために双ツ龍と地位が逆転したことが明記されています。
氏は春秋園事件から終戦までの「昭和相撲史」、昭和20年代の「戦後相撲史」を執筆された生き字引のような方なので、これで間違いないと思われます。
後年の研究者が首をひねることのないように、こうした裏事情もどこかに纏められればいいですね。
宝富士 - ニッシー
2025/11/01 (Sat) 21:50:12
宝富士は令和7年秋場所限りで引退しましたが、星取表の成績欄がグレーになっておらず、下の欄にも「引退」と書いてありません。
宝富士が引退を発表したのは秋場所千秋楽の3日後ですが、九州場所の番付編成前に引退届は受理されていて、九州場所の番付には載っていないので、秋場所が最終場所になります。
Re: - gans@作成者
2025/11/15 (Sat) 14:06:01
お知らせいただき、ありがとうございます。
宝富士引退の件、更新いたしました。
当サイトは毎場所1回の更新で、早ければ千秋楽当日、または数日以内の更新をしております。
場所後の諸発表については、翌場所更新時にまとめて行うことになりますのでご承知おき頂けると幸いです。
2025/10/18 (Sat) 01:34:02
東西制(明治42~昭和22年)下では当サイトも得点合計が上部に記載されていますが、必ずしも白星合計ではないようです。
出典がよく分かりませんが、『日本相撲史・中巻』に同じ数字がありました。
例えば、一番最初の明治42年夏では西方合計が白星合計と異なります。
当サイト:59点
白星合計:62点
翌明治43年春は東西ともに異なります。
当サイト:69点/58点
白星合計:68点/59点
なお、当サイトでは旗手を東前11の千年川としていますが、相星で東前9の両國がいます。
番附上位者ということで、両國が優勝旗手ではないでしょうか。
このように、明治・大正は差異が多い印象です。
昭和に入ってからはほとんど差異はありませんが、昭和2年10月は東軍が異なるようです。
『近世日本相撲史』の星取表では「□白岩-宮城山■」となっており、当サイトの星取表と異なります。
当サイト:83点
白星合計:83点(白岩の白星が抜けており、実際には84点)
ちなみに大阪相撲でも東西対抗や旗手がいたようですが、『日本相撲史・中巻』では大正3年以降の本文に東西どちらの勝ちであるか記載されています。
Re: - gans@作成者
2025/10/28 (Tue) 12:28:07
日本相撲史も参考にしております。
また現在、明治〜大正の相撲記事のテキスト化に取り組んでいますが、これらの記事によるといわゆる陰星も点数にカウントされていたようです。星取表では△でも1点になってるものとなってないものがあるという事です。
ただ、この場合は白星の単純合計プラスアルファという形になるはずで、単純合計より少なくなるのは何なのでしょうね。
記事の整理がついた段階で、検証してみたいところです。
43年春は、新聞記事により千年川が旗手を務めたということで間違いないようです。
2025/11/05 (Wed) 22:13:47
丸預り、土俵預りといった陰星については現在の諸資料に伝承されておらず、例えば幕内の全預りが丸預りなのか本当の預りなのか判別がつきません。
千年川が旗手であれば陰星が含まれると思いますが、こちらの星取表以外に旗手を務めた資料が見当たりません。
うちの「銀河大角力協会」でも東西制の得点一覧を設けましたが、当サイトの白星を単純合計して計算しています。
ttp://shiverle.web.fc2.com/vic/sr.html
優勝掲額力士の一覧表は見かけますが、正規の表彰である正確な得点や旗手の一覧が見当たらないのは奇妙ですね。
アーカイブ場所 - 西の関
2025/10/12 (Sun) 17:12:46
星取表とは直接関係ありませんが、相撲協会がYouTubeで展開しているアーカイブ場所は見ごたえがありますね。取りあえず昭和35年以降は全取組、それ以前は(おそらく)場所ごとのダイジェスト。まだ全部揃ってなくて徐々に追加更新されて行くんでしょうが、まあ私が生きているうちに完結することはないでしょう(笑)
因みに、月千円足らずのサブスクです。
Re: - gans@作成者
2025/10/28 (Tue) 12:19:59
ファンクラブ小結コースなので見れていませんが、これは幕内の初っ口から見れるのでしょうか?
そうだとするとかなり膨大な映像資料ですよね。
年間33000円の関脇コース以上入会、またはYouTubeで月額990円のどちらかが必要なんですね。
Re: アーカイブ場所 - 西の関
2025/11/02 (Sun) 17:03:11
昭和35年3月場所は全日程、幕内の初っ口から全取組が見られます。その後は今のところ39年1月場所に飛んでますが、その後の場所もやはり全取組見られます。その途中も順次埋まっていくとは思いますが、完成まで何十年先になるやらという感じですね(笑
35年1月以前は1場所90分程度のダイジェスト版になってます(戦後の場所はほぼ全て揃っています。初期ほど時間が短い)。
明治45年春場所の尼ヶ崎 - ビスタカー
2025/08/22 (Fri) 23:17:13
明治45年春場所の尼ヶ崎(尼ヶ嵜)ですが、現状のこのサイトでは張出十両となっていますが、小島貞二コレクションの番付実物画像によれば張出幕下です。頭書が「前頭」ではなく「同」となっており、文字のサイズも小さく、幕下のサイズとなっています。
Re: - gans@作成者
2025/09/01 (Mon) 17:15:50
文字の太さから言っても、幕下で良さそうですね。
新聞では張出十両の扱いになっていますが、実際の番付を見るとご指摘の通りかと思います。
こちらも修正いたしました。
兼六山(磐若)について - ビスタカー
2025/08/20 (Wed) 02:07:49
兼六山は大正11年春場所で東十両15枚目格番付外で1勝3敗と負け越し、翌大正11年夏場所で西幕下7枚目に陥落し、その時に磐若と改名していますが、その場所の星取が3勝2敗の勝ち越しとなっていますが、上下の周りの勝ち越し力士が、軒並み翌大正12年春場所で番付が上がっている(同場所の番付で見当たらない福山を除いて)のに対し、磐若は兼六山に戻した上で、このサイトの範囲外の番付位置、小島貞二コレクションの番付実物画像で確認したところによれば東幕下16枚目に番付を下げています。大正11年夏場所の磐若の3勝2敗が、もしかしたら正しくは負け越しの星だったとかあるのでしょうか。ちなみに勝ち越しながら番付が下がるのは、勝敗数と番付変動があまり関係ない江戸時代(特に江戸相撲初期とか)を除けば、三役陣の相対的評価(明治大正とか)や東西制や定員削減などの関係なら分かるのですが。
それと、大正12年春場所の幕下で、現状のこのサイトで東9枚目となっている岩城川が、小島貞二コレクションの番付実物画像にはなく、その画像では一ノ濱が東9枚目となっており、以下1枚ずつずれ、東15枚目が古賀ノ浦、そしてこのサイトの範囲外の東16枚目が兼六山となっています。
Re: 兼六山(磐若)について - 名無しさん
2025/08/20 (Wed) 19:20:36
推測ですが、野球界の星取りをよく見ると、初日は磐若と小田ノ山の対戦ですが両方○になっていて、翌場所の番付昇降から推測すると小田ノ山が勝ちで磐若が負けのような気がします。新聞を調べると確実と思います。
Re: - gans@作成者
2025/09/01 (Mon) 16:58:33
お知らせいただき、ありがとうございます。
大正11年夏:磐若の初日、小田ノ山に敗れていることを新聞で確認しましたので、ご指摘のとおり2勝3敗です。
また兼六山→磐若の改名情報も追記しました。
大正12年春:東幕下9枚目が一ノ濱、以下1枚ずつズレていることを新聞で確認しました。参考とした当時の雑誌の星取表をよく見ると、岩城川のところ手書きでカッコが足され(岩城川)となっているので、岩城川は8枚目格の番付外と解釈すれば良いのかも知れません。
以上、修正いたしました。
遅くなって申し訳ありません。
過去ログ - 名無しさん
2025/05/22 (Thu) 23:46:45
管理人様
こちらの掲示板の過去ログを見られるようにならないですかね?
Webarchiveでは一部は閲覧できるのですが、以前あったタメになるやり取りが流れてしまうのが勿体なく・・・・
Re: - gans@作成者
2025/05/25 (Sun) 13:51:11
この掲示板の「次へ」ボタンで、2021年頃まで遡ることは出来ますが、もっと前の過去ログのことですよね?
移転前のログは古いPCを探してみると見つかるかも知れませんが、無いかも知れません。
ちょっと探してみます、すみません。
Re: 過去ログ - 名無しさん
2025/05/25 (Sun) 22:10:58
そうです、以前の過去ログです。
テキストで良いですので、お願いします!
Re: - gans@作成者
2025/06/11 (Wed) 12:36:30
先代、先々代のPCを探しましたが見つかりませんでした。
スミマセン⋯
Re: 過去ログ - 名無しさん
2025/06/11 (Wed) 21:03:45
お手数おかけしました。
残念、無念です・・・
地位が離れている力士の対戦について - ビスタカー
2025/06/04 (Wed) 02:10:31
前回の投稿で、明治時代に「十両上位対幕下」「十両対幕下20~30枚目台」といった取組がバンバン組まれていたことについて言及しました。また番付表記上の十両創設以前ですが、明治時代の「二段目10枚目以内(現代でいう十両相当)対三段目」の唯一の取組は次のようになります。以下、この形式で取組を表すものとします。
・1876.04 8日目 ○東二段目9悠久山-西三段目2金手古● (金手古の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像で確認)
大正時代の「十両対幕下」も対戦範囲が広かったようで、幕下側がこのサイトの範囲外となる16枚目以下(何枚目かは小島貞二コレクションの番付実物画像で確認)の取組としては、例えば次のような取組があります。
大正時代:十両対幕下16枚目以下
・1912.05 9日目 ●西十12加勝山-東下17小桜○
・1912.05 千秋楽(10日目) ○東十13岩木山-西下17真砂石●
・1918.01 千秋楽(10日目) ●西十14紀ノ川-西下17時ツ風○
・1925.05 千秋楽(15日目) ○東十15新海-西下16立汐(唯)●
また参考までに、十両取組に登場した力士で、幕下のはずながら番付実物画像(及び日本相撲史の番付)に見えない力士の例も見つけました。
・1917.01 8日目 △西十12紀ノ川-下(番付外?)志々ヶ嶽△ (預り)
・1917.01 千秋楽(10日目) ●東十13鎮西山-下(番付外?)志々ヶ嶽○
昭和戦後の15日制定着後~現代の大相撲の本場所を見ても、「十両対幕下20~30枚目台」は流石にあり得ないとしても、「十両上位(6枚目以上)対幕下」「十両対幕下10枚目台」の例として、次のような取組が稀に組まれていますが、これは場所終盤に展開によって面白くするためなどの理由や都合によるものと考えられます。以下、相撲レファレンスで調べました。
15日制定着後~現代:十両6枚目以上対幕下
・1979.09 13日目 ●西十6大車輪-西下8琴風○
・1998.09 千秋楽 ●西十5久島海-西下1北勝光○
・2000.03 13日目 ●東十6出羽嵐-東下2玉ノ洋○
・2001.07 千秋楽 ●西十6金開山-東下1須磨ノ富士○ (須磨ノ富士は8番相撲)
・2002.09 14日目 ○西十6肥後ノ海-東下2琉鵬●
・2009.05 千秋楽 ○西十4琴国-西下1北桜● (現代の地位がかなり離れた十両対幕下の取組として、まずこれを思い出しました)
・2022.05 千秋楽 ○東十5北の若-西下4金峰山●
15日制定着後~現代:十両対幕下10枚目以下
・1950.05 千秋楽 ●東十15浦嶋-西下10巴海○
・1952.05 14日目 ○東十17平鹿川-東下10成山●
・1952.05 千秋楽 ●東十17平鹿川-東下11小野錦○
・1952.09 7日目 ○東十18大日山-東下11河津山●
・1965.01 13日目 ●西十16大文字-西下11千葉の山○
・1968.11 13日目 ●西十13吉王山-東下14若晃○
・1969.05 千秋楽 ●西十11上潮-西下11千葉の山○
・1974.01 11日目 ○西十13玄武-西下10栃勇●
・1974.09 千秋楽 ●西十13玄武-東下11千代の冨士○
・1975.03 14日目 ●東十11玄武-東下19浪速龍○ (浪速龍はこのサイトの範囲外)
・1975.09 14日目 ●東十12石川-東下12巌虎○
・1975.11 千秋楽 ●西十13大登-東下16吉の谷○ (吉の谷はこのサイトの範囲外)
・1977.05 千秋楽 ●東十11松乃山-西下13白根山○
・1977.11 14日目 ●西十11清乃華-東下15琴の郷○
・1982.11 千秋楽 ○東十12鶴嶺山-東下12手島●
・1983.05 千秋楽 ●西十11輪鵬-西下10富士の里○
・1983.11 14日目 ○東十9市ノ渡-東下14琴ヶ梅●
・1984.05 14日目 ●東十13富士の里-西下10佐ノ藤○ (佐ノ藤は8番相撲)
・1985.09 14日目 ○東十13栃赤城-西下10貴ノ嶺●
・2012.07 千秋楽 ●西十14誉富士-東下10海龍○ (海龍は8番相撲)
・2018.01 14日目 ●西十14希善龍-西下10玉木○ (玉木は8番相撲)
・2022.07 千秋楽 ●西十12矢後-東下13王輝○ (王輝は8番相撲。コロナの影響で出場関取が少なくなりすぎたため、あと2人8番相撲を取った幕下力士がいました)
そして、「幕内対十両」も「十両対幕下」と同じく、現代でも普通に組まれており、特に幕内の出場者が奇数になれば必然的に組まれますが、相撲レファレンスでざっと調べたところ、近年の取組編成(特に令和に入ってから)では「幕内対十両」が1日に複数番組まれることは稀となっています。現代の「幕内対十両」については、とりあえず近年では極端な地位差となっているのは、次の取組あたりでしょうか。現代の「幕内対十両」のそれ以上の詳細は省略しますが。
・2021.01 千秋楽 ●東前8徳勝龍-西十8大翔丸○
さて、「地位が離れている力士の対戦」ですが、現代の大相撲の本場所では、小結以上の役力士が幕尻あるいは幕尻付近の幕内力士と対戦することは、後者が優勝争いに絡むほど大勝ちすればあり得ても、小結以上の役力士が十両と対戦することや、幕内が幕下と対戦するなんてことはいくら何でもあり得ません。しかし、それも大相撲の歴史を遡れば、明治時代の星取表を見るとそのような取組がありました。「十両上位対幕下」「十両対幕下20~30枚目台」といった取組がバンバン組まれ、二段目全体が1つの階級という感覚だったかもしれないこと以外にも、江戸時代に「小結以上対二段目」が意外と当たり前のように多かったことを考えると、明治時代に「役力士対十両」「幕内対幕下」があってもおかしくないとは思っていましたが。例えば、1888年(番付上十両創設)以降では次のような取組が見つかりました。この時代の幕下の地位は、このサイトの範囲外ですので、小島貞二コレクションの番付実物画像で確認しています。
明治時代(1888(番付上十両創設)以降):役力士対十両
・1888.05 初日 ○東大関剣山-西十1勢力●
・1888.05 初日 ●西小結西ノ海-東十1鬼鹿毛○
・1889.05 2日目 ○東小結若湊-西十1大泉●
明治時代(1888(番付上十両創設)以降):幕内対幕下
・1888.01 6日目 ○東前11緋縅-西下7雷震●
・1888.05 6日目 ○東前11緋縅-西下3九紋竜●
また、明治初期の頃までは、役力士対二段目11枚目以下の対戦も、例えば次のようなものがあったようですね。こちらも二段目11枚目以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像で確認しています。
明治時代:役力士対二段目11枚目以下
・1868.11 初日 ○西小結東関-東二段目11壽●
・1870.04 初日 ○西小結両國-東二段目11一力●
江戸時代になりますが、谷風や雷電(為)が負けた次の取組も、特に前二者については、その相手の地位は当時の感覚や扱いだと「幕内」だったかもしれませんが(二段目に「同」ではなく「前頭」と書いてあるため)、一応番付の形式的には「大関対二段目」「関脇対二段目」です。
・1782.02 6日目 ●西大関谷風-東二段目3小野川○
・1793.03 8日目 ●西関脇雷電(為)-東二段目1常山○
・1800.10 初日 ●西大関雷電(為)-東二段目3鯱○
「関脇が六段番付の四段目に負けた」取組は、具体的には次のように、明和5年(1768年)の次の取組です。江戸相撲初期にはこの他にも「上段対三段目」などといった取組もあり、番付の形式的に現代では到底考えられないほど対戦範囲が広かったようです。これについては「相撲史に関心・興味のある方どうぞ」でも言及されていました。
・1768.09 4日目 ●東関脇冨士ヶ嶽-西四段目1羽黒山○
では、こういった「役力士対十両」「役力士対二段目11枚目以下(あるいは幕下)」「幕内対幕下」ですが、ざっと軽く調べただけので他にもあるかもしれませんが、そのような現代だとあり得ない取組で、大相撲史上最後のものはいつの取組になるのでしょうか?