
大相撲であった珍事 - 大相撲大好き❤️
2025/12/15 (Mon) 17:54:52
大相撲であった珍事を送ってください
Re: 大相撲であった珍事 - 西の関
2026/03/06 (Fri) 18:19:59
幕内力士と十枚目力士が顔を合わせて十枚目力士が勝つというのはよく見られる光景ですが、最終的に両者が優勝してしまった結果、十枚目優勝力士が幕内優勝力士に本割で勝つという、空前の珍事に発展したことがありましたね。
もちろん、ここに来る人はいつの場所のことかすぐにわかるでしょう。
1963-11西三段目66佐渡ノ花の2番相撲は死亡による不戦敗か? - ビスタカー
2026/02/18 (Wed) 01:49:52
現行制度の大相撲においては、不戦敗(対戦相手の不戦勝)となる状況は、ある力士が場所途中から休場した場合と、ある力士が場所途中に引退した場合の2パターンが基本です。しかし実際には、通常の休場・引退以外の特殊なパターンとして、立ち合い前(特に本来取り直しの相撲を取るべきケース)に痛みや脳震盪等で相撲が取れない状態と審判委員が認めたことよって不戦敗となるケースや、取組に遅刻したことによって不戦敗となるケース、不祥事による出場停止処分によって不戦敗となるケース、更に両者の休場(引退)による両者不戦敗の実例なども稀ながら存在します。特殊な状況での不戦敗の実例としてその他に次のようなものもあります。
1926-01 10日目 □東前頭8大蛇山-西前頭6白岩■ :白岩は極度の疲労のため棄権。不戦勝・不戦敗の幕内適用第1号。
1939-01 11日目 ■西前頭1磐石-西大関鏡岩■ :水入り二番後取り直しの大相撲。棄権の申し出をした鏡岩に対して、磐石も不戦勝を承諾せず、両者棄権となって不戦敗。
ここで本題ですが、更に特殊な状況での不戦敗として、不謹慎な話になってしまいますが、重大な不祥事を起こした力士が即日の解雇もしくは除名処分となって不戦敗となるケースや、力士の死亡によって不戦敗となるケースも理論上はあり得ます。現在まで前者の実例は皆無のようですが、相撲のことを調べていくうちに後者の実例ではないかと思った事例の情報に出くわしました。
この星取表サイトの範囲外の力士となりますが、1963年(昭和38年)11月場所中の2日目(11日)に発生した佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件では、中毒した6人が救急搬送され、3日目(12日)に西三段目66佐渡ノ花が、5日目(14日)に西序二段73斉藤山が死亡しています。相撲レファレンスではこの時代の幕下16枚目以下は星取表の星の並びが登録されておらず、勝敗数のみの登録となっていますが、当時幕下以下は既に現在と同じ7番制となっており、佐渡ノ花は1勝1敗5休、斉藤山は0勝2敗5休となっています。そこで佐渡ノ花は1番相撲を勝った後、2番相撲は大相撲における不戦勝・不戦敗の創設以降で史上唯一の「死亡による不戦敗」なのでしょうか?(2番相撲がもし4日目なら確実にそう言えますが、3日目なら時間レベルの話になってきます。斉藤山の方は1番相撲を負けた後、2番相撲は死亡日からして通常の「休場による不戦敗」です。)
ちなみにそのフグ中毒事件で、中毒して救急搬送されたものの生還した4人についても調べたところ、相撲レファレンスでは次の通りでした。
西三段目18 太田 1勝1敗5休
東序二段2 橋田 全休
東序二段105 崎村 1勝1敗5休
前相撲 田中山? (Wikipediaでは「田中」となっていますが恐らく田中山ではないかと)
また相撲レファレンスでは、件の佐渡ノ花を含む翌1964年1月場所の数人の改名情報が誤って登録されています。
(相撲レファレンス登録情報:誤り)
佐渡ノ花→利根ヶ嶺
龍山→二瀬若
(小島貞二コレクション番付実物画像による)
佐渡ノ花(死亡)
龍山→利根ヶ嶺
御所錦?→二瀬若(番付画像上、文字が小さすぎて旧四股名は十分に判読できませんが、「御所錦」のようにも見えます。相撲レファレンス登録情報では御所錦は1963-11限りで引退扱い)
最後に、「死亡による不戦敗」に近似する事例としては、次のような例を知っています。
1894-01 4日目 や東前頭13響矢-西十両4音羽山や :不戦勝・不戦敗の創設以前の事例。3日目に音羽山(0勝2敗)が死亡。4日目に取組が組まれていた音羽山は星取表上「や」(休場)扱いとなり、対戦相手の響矢も星取表に「や」と記録された。
1992-07 10日目 西序ノ口21魁士 :魁士(2勝3敗)は10日目に死亡したが、この日は魁士の取組は組まれていなかった。
Re: 1963-11西三段目66佐渡ノ花の2番相撲は死亡による不戦敗か? - 紅葉橋律乃介 URL
2026/02/18 (Wed) 23:37:01
昭和38年11月場所の星取表を確認しました。
西三66の佐渡ノ花、西二73の斎藤山、ともに二番相撲は4日目で●となっています。
佐渡ノ花が3日目に亡くなったとすれば、4日目はまさに死亡による不戦敗となりますね。
西三18太田(1-1、5休)、東二2橋田(0-2、5休)、東二105崎村(1-1、5休)3名とも2番相撲は4日目が●(おそらく不戦敗)でした。
Re: 1963-11西三段目66佐渡ノ花の2番相撲は死亡による不戦敗か? - 西の関
2026/03/03 (Tue) 17:51:04
御所錦→二瀬若の改名問題について調べてみました。
こちらでは画像が1枚しかアップロードできないので、返信が2度に渡ることをご了承ください。
まずは昭和38年11月場所の御所錦の星取(雑誌「相撲」より)。
Re: 1963-11西三段目66佐渡ノ花の2番相撲は死亡による不戦敗か? - 西の関
2026/03/03 (Tue) 17:58:37
続いて昭和39年1月場所の二瀬若の星取(同じく雑誌「相撲」より)。
「御所錦改」と明記されている上に、出身地、本名、生年月日等の情報も全て一致します。ビスタカーさんのご指摘通り、御所錦が二瀬若と改名したことで間違いないと思われます。
なので「相撲レファレンス」の二瀬若のページは大間違いということになります。
せっかくの詳しいサイトなのに残念ですね。
Re: 1963-11西三段目66佐渡ノ花の2番相撲は死亡による不戦敗か? - ビスタカー
2026/03/04 (Wed) 01:21:59
というわけで、ついでに(おまけ的な情報ですが)、1968-11のフグ中毒者6名のうち番付外の田中(生還)を除く5名について、西三66佐渡ノ花(3日目死亡)の2番相撲4日目●のフグ中毒での「死亡による不戦敗」や、西二73斎藤山(5日目死亡)・西三18太田・東二2橋田・東二105崎村(以上3名生還)の2番相撲4日目●の「中毒による不戦敗」では、対戦相手(不戦勝になった側)はどんな四股名が記録されていたのでしょうか?
当方では昭和時代やそれ以前の幕下以下の対戦相手まで記録されている雑誌等の星取表は所持していないもので…
で、これまたおまけ的ですが、「即日の解雇・除名処分による不戦敗」は過去に例がないようですが、参考までにその近似事例にも遭遇しましたので載せておきます。
2006-09 10日目 ■東幕下42琴冠佑-西幕下46華王錦□:形式上は解雇や除名ではなく、通常の引退だが、琴冠佑は1番相撲からの3連勝から中日の4番相撲で勢に敗れた際、取組後の支度部屋で勢をタオルを巻いた拳で殴るという不祥事を起こしてしまい、師匠の13代佐渡ヶ嶽から即日の引退勧告を受けて10日目に引退し、その日の5番相撲は不戦敗。
Re: 1963-11西三段目66佐渡ノ花の2番相撲は死亡による不戦敗か? - 西の関
2026/03/04 (Wed) 20:34:51
西三66佐渡ノ花の画像です。一瞬、え? と思いましたが、すぐ隣を見ればわかる通り、相撲誌の記載ミスです。本物(?)はこの場所は東下29でした。
西二73斎藤山の相手は西二72前田嶺
西三18太田の相手は西三15綾桜
東二2橋田の相手は西二6東浪
東二105崎村の相手は東二106辻
今さらながら、前途ある2名の方が亡くなられたのは残念で悲しいことです。
Re: 1963-11西三段目66佐渡ノ花の2番相撲は死亡による不戦敗か? - ビスタカー
2026/03/05 (Thu) 01:15:30
佐渡ノ花の件、結局まとめればこんな感じですね。
死亡により不戦敗となった取組:
1963-11 4日目 □西三段目67福の山-西三段目66佐渡ノ花■:2日目の1番相撲の安川(東三段目67)戦を勝っていた佐渡ノ花は、2日目夜に発生した佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件により3日目朝に死亡してしまい、4日目に組まれていた2番相撲は、大相撲における不戦勝・不戦敗の創設以降でおそらく史上唯一の「死亡による不戦敗」。
1963-11の星取:
(当時の表記)や○や●ややややややややややや 1勝1敗5休
(現代風(協会発行のもの以外)なら)「や○や■」の1勝1敗で死亡により星取の記述打ち切りでしょうか。
というわけで、今回の件はありがとうございました。僕が生まれる前のことながら、佐渡ノ花と斎藤山がフグ中毒で亡くなったのはやはり悲しいことですね。
対戦相手としての四股名の省略方法について - ビスタカー
2026/01/26 (Mon) 01:13:23
このサイトの星取表では、4字以上の四股名の力士を対戦相手として表示するときは、3字に省略して表示することになりますが、今場所改名した力士は現状では次のようになっています。
伯乃富士 → 伯乃士
寿之富士 → 寿之士
これについては、4字以上の四股名に「ノ・の・乃・之・ヶ」などが含まれていれば、それを省略したほうが自然と考えられるため、次のようにすべきかと思います。
伯乃富士 → 伯富士
寿之富士 → 寿富士
Re: - gans@作成者
2026/03/01 (Sun) 08:30:54
改名直後で対応漏れになっていましたが、対応しました。
来場所の番付予想をしよう! - 大相撲大好き❤️
2025/12/15 (Mon) 17:49:05
場所が終わるごとに来場所の番付予想をしよう!
例 豊昇龍 横綱 大の里
琴 櫻 大関 安青錦
霧 島 関脇 髙 安
王 鵬 小結 一山本
・
・
・
みたいな感じです
三役だけなどの予想でも大歓迎です
どんどん返信お願いします
不思議な番付編成 - 西の関
2025/11/09 (Sun) 17:23:27
昭和29年秋場所は東小結朝潮から西前頭筆頭出羽錦まで5人連続(朝潮・北ノ洋・羽嶋山・双ツ龍・出羽錦)で6勝9敗でした。
ttps://sumo-hositori.com/S20/S29-9.html
当然、続く30年初場所の番付は、途中他の力士が入り込むにしても、この5人は秋場所と同じ順番に並ぶはずです。ところが実際は、朝潮・北ノ洋・羽嶋山・(大起・)出羽錦・(潮錦・琴ヶ濱・)双ツ龍で、双ツ龍と出羽錦が逆転しています。
ttps://sumo-hositori.com/S30/S30-1.html
東西制でもないのに不思議な現象です。
Re: 不思議な番付編成 - しろしたかれい
2025/11/11 (Tue) 22:13:10
昭和29年秋場所7日目出羽錦は関脇大内山と対戦しましたが、行司庄太郎のミスと時津風検査長の裁定により不利な姿勢から取り直しならぬ組み直しとなり後味の悪い形で敗れました。(Wikipediaの物言いの項に詳しいです)
この勝負は大きな波紋を呼んだようで相撲11月号(秋場所総決算号)にまるまる1ページ使って紹介された他数カ所で記事となりいずれも出羽錦に同情的な論調でした。
これを理由に30年初場所の番付で出羽錦に配慮したという公式な記事は見つかりませんでしたがおそらくそのような理由と思われます。
Re: 不思議な番付編成 - 西の関
2025/11/11 (Tue) 23:13:43
しろしたかれいさん、ありがとうございました。昭和29年の秋場所総決算号には確かに該当記事が見つかりました。大相撲アーカイブ場所でも実際の取組を見てみましたが、確かに「Wikipediaの物言いの項」にあった通りの相撲内容でした。
もしかしたら30年初場所の番付発表後の「相撲」誌でなにか見つかるかもしれませんので探してみます。
私もおそらくそれがこの変則編成の理由と思います。
(添付画像は昭和29年秋場所総決算号の目次。真ん中辺に「大物言いの一番 大内山-出羽錦」とあります)
Re: 不思議な番付編成 - 西の関
2025/11/23 (Sun) 16:24:39
意外な所で見つけました。
雑誌「相撲」昭和55年名古屋場所展望号掲載、渡辺港太郎氏の「記録の手帖」です。155ページに該当する記事があり、昭和29年秋場所7日目の大内山-出羽錦戦に関して、担当行司木村庄太郎が翌日謹慎になったこと、出羽錦の負けがノーカウントとされ6勝8敗扱いで番付が編成されたために双ツ龍と地位が逆転したことが明記されています。
氏は春秋園事件から終戦までの「昭和相撲史」、昭和20年代の「戦後相撲史」を執筆された生き字引のような方なので、これで間違いないと思われます。
後年の研究者が首をひねることのないように、こうした裏事情もどこかに纏められればいいですね。
宝富士 - ニッシー
2025/11/01 (Sat) 21:50:12
宝富士は令和7年秋場所限りで引退しましたが、星取表の成績欄がグレーになっておらず、下の欄にも「引退」と書いてありません。
宝富士が引退を発表したのは秋場所千秋楽の3日後ですが、九州場所の番付編成前に引退届は受理されていて、九州場所の番付には載っていないので、秋場所が最終場所になります。
Re: - gans@作成者
2025/11/15 (Sat) 14:06:01
お知らせいただき、ありがとうございます。
宝富士引退の件、更新いたしました。
当サイトは毎場所1回の更新で、早ければ千秋楽当日、または数日以内の更新をしております。
場所後の諸発表については、翌場所更新時にまとめて行うことになりますのでご承知おき頂けると幸いです。
2025/10/18 (Sat) 01:34:02
東西制(明治42~昭和22年)下では当サイトも得点合計が上部に記載されていますが、必ずしも白星合計ではないようです。
出典がよく分かりませんが、『日本相撲史・中巻』に同じ数字がありました。
例えば、一番最初の明治42年夏では西方合計が白星合計と異なります。
当サイト:59点
白星合計:62点
翌明治43年春は東西ともに異なります。
当サイト:69点/58点
白星合計:68点/59点
なお、当サイトでは旗手を東前11の千年川としていますが、相星で東前9の両國がいます。
番附上位者ということで、両國が優勝旗手ではないでしょうか。
このように、明治・大正は差異が多い印象です。
昭和に入ってからはほとんど差異はありませんが、昭和2年10月は東軍が異なるようです。
『近世日本相撲史』の星取表では「□白岩-宮城山■」となっており、当サイトの星取表と異なります。
当サイト:83点
白星合計:83点(白岩の白星が抜けており、実際には84点)
ちなみに大阪相撲でも東西対抗や旗手がいたようですが、『日本相撲史・中巻』では大正3年以降の本文に東西どちらの勝ちであるか記載されています。
Re: - gans@作成者
2025/10/28 (Tue) 12:28:07
日本相撲史も参考にしております。
また現在、明治〜大正の相撲記事のテキスト化に取り組んでいますが、これらの記事によるといわゆる陰星も点数にカウントされていたようです。星取表では△でも1点になってるものとなってないものがあるという事です。
ただ、この場合は白星の単純合計プラスアルファという形になるはずで、単純合計より少なくなるのは何なのでしょうね。
記事の整理がついた段階で、検証してみたいところです。
43年春は、新聞記事により千年川が旗手を務めたということで間違いないようです。
2025/11/05 (Wed) 22:13:47
丸預り、土俵預りといった陰星については現在の諸資料に伝承されておらず、例えば幕内の全預りが丸預りなのか本当の預りなのか判別がつきません。
千年川が旗手であれば陰星が含まれると思いますが、こちらの星取表以外に旗手を務めた資料が見当たりません。
うちの「銀河大角力協会」でも東西制の得点一覧を設けましたが、当サイトの白星を単純合計して計算しています。
ttp://shiverle.web.fc2.com/vic/sr.html
優勝掲額力士の一覧表は見かけますが、正規の表彰である正確な得点や旗手の一覧が見当たらないのは奇妙ですね。
アーカイブ場所 - 西の関
2025/10/12 (Sun) 17:12:46
星取表とは直接関係ありませんが、相撲協会がYouTubeで展開しているアーカイブ場所は見ごたえがありますね。取りあえず昭和35年以降は全取組、それ以前は(おそらく)場所ごとのダイジェスト。まだ全部揃ってなくて徐々に追加更新されて行くんでしょうが、まあ私が生きているうちに完結することはないでしょう(笑)
因みに、月千円足らずのサブスクです。
Re: - gans@作成者
2025/10/28 (Tue) 12:19:59
ファンクラブ小結コースなので見れていませんが、これは幕内の初っ口から見れるのでしょうか?
そうだとするとかなり膨大な映像資料ですよね。
年間33000円の関脇コース以上入会、またはYouTubeで月額990円のどちらかが必要なんですね。
Re: アーカイブ場所 - 西の関
2025/11/02 (Sun) 17:03:11
昭和35年3月場所は全日程、幕内の初っ口から全取組が見られます。その後は今のところ39年1月場所に飛んでますが、その後の場所もやはり全取組見られます。その途中も順次埋まっていくとは思いますが、完成まで何十年先になるやらという感じですね(笑
35年1月以前は1場所90分程度のダイジェスト版になってます(戦後の場所はほぼ全て揃っています。初期ほど時間が短い)。
明治45年春場所の尼ヶ崎 - ビスタカー
2025/08/22 (Fri) 23:17:13
明治45年春場所の尼ヶ崎(尼ヶ嵜)ですが、現状のこのサイトでは張出十両となっていますが、小島貞二コレクションの番付実物画像によれば張出幕下です。頭書が「前頭」ではなく「同」となっており、文字のサイズも小さく、幕下のサイズとなっています。
Re: - gans@作成者
2025/09/01 (Mon) 17:15:50
文字の太さから言っても、幕下で良さそうですね。
新聞では張出十両の扱いになっていますが、実際の番付を見るとご指摘の通りかと思います。
こちらも修正いたしました。
兼六山(磐若)について - ビスタカー
2025/08/20 (Wed) 02:07:49
兼六山は大正11年春場所で東十両15枚目格番付外で1勝3敗と負け越し、翌大正11年夏場所で西幕下7枚目に陥落し、その時に磐若と改名していますが、その場所の星取が3勝2敗の勝ち越しとなっていますが、上下の周りの勝ち越し力士が、軒並み翌大正12年春場所で番付が上がっている(同場所の番付で見当たらない福山を除いて)のに対し、磐若は兼六山に戻した上で、このサイトの範囲外の番付位置、小島貞二コレクションの番付実物画像で確認したところによれば東幕下16枚目に番付を下げています。大正11年夏場所の磐若の3勝2敗が、もしかしたら正しくは負け越しの星だったとかあるのでしょうか。ちなみに勝ち越しながら番付が下がるのは、勝敗数と番付変動があまり関係ない江戸時代(特に江戸相撲初期とか)を除けば、三役陣の相対的評価(明治大正とか)や東西制や定員削減などの関係なら分かるのですが。
それと、大正12年春場所の幕下で、現状のこのサイトで東9枚目となっている岩城川が、小島貞二コレクションの番付実物画像にはなく、その画像では一ノ濱が東9枚目となっており、以下1枚ずつずれ、東15枚目が古賀ノ浦、そしてこのサイトの範囲外の東16枚目が兼六山となっています。
Re: 兼六山(磐若)について - 名無しさん
2025/08/20 (Wed) 19:20:36
推測ですが、野球界の星取りをよく見ると、初日は磐若と小田ノ山の対戦ですが両方○になっていて、翌場所の番付昇降から推測すると小田ノ山が勝ちで磐若が負けのような気がします。新聞を調べると確実と思います。
Re: - gans@作成者
2025/09/01 (Mon) 16:58:33
お知らせいただき、ありがとうございます。
大正11年夏:磐若の初日、小田ノ山に敗れていることを新聞で確認しましたので、ご指摘のとおり2勝3敗です。
また兼六山→磐若の改名情報も追記しました。
大正12年春:東幕下9枚目が一ノ濱、以下1枚ずつズレていることを新聞で確認しました。参考とした当時の雑誌の星取表をよく見ると、岩城川のところ手書きでカッコが足され(岩城川)となっているので、岩城川は8枚目格の番付外と解釈すれば良いのかも知れません。
以上、修正いたしました。
遅くなって申し訳ありません。