琴ノ花 - 星取大好き
2024/10/28 (Mon) 23:59:12
昭和20年夏場所の幕下下位
星取表は『琴ノ花』あるが、
番付はその名は無かった。番付外で出場してる?
Re: 琴ノ花 - しろしたかれい
2024/11/02 (Sat) 18:38:24
昭和19年秋場所が西幕下30で全休となっていますので
応召・入営(徴兵等により軍務等につくこと)により番付から外されたものの
夏場所前に解除されて番付外にて出場したものと思われます。
応召・入営した力士は当初番付・星取表に明記されていましたが
機密保持のため昭和17年以降番付から除かれることとなりました。
Re: 琴ノ花 - 星取大好き
2024/11/02 (Sat) 21:50:06
ありがとうございました。
Re: Re: 琴ノ花 - 星取大好き
2024/11/12 (Tue) 11:12:37
もう一つ気になることがあります。
琴ノ花と天覧山は同人物ですか?
出身地は琴ノ花・•香川県だけど天覧山と改名してから出身も
変わった。(香川県→埼玉県)昭和29年3月まで続けた。
Re: 琴ノ花 - しろしたかれい
2024/11/12 (Tue) 21:40:18
琴ノ花と天覧山は別人です。
八重錦→琴ノ花は本名宮西禎美、大正9年香川県生まれ、二所ノ関部屋。
天覧山は本名小川祐治、大正13年埼玉県生まれ、前名武昇、武隈部屋。
琴ノ花は昭和21年11月限りと思われます。
昭和21年秋場所 - 星取大好き
2024/11/10 (Sun) 22:34:08
昭和21年秋場所の幕下星取表の中に誤りがありました。
西幕下8
北ノ洋
(誤)
〇や●や●●や〇やや●〇や 3勝4敗
↓
(正)
〇〇や〇やや●や●や●や〇 4勝3敗
修正をお願いします。
解読不明 - 星取大好き
2024/07/31 (Wed) 00:32:10
相撲史発堀 第70号
二枚の番付(宝暦10年10月と天明7年5月がありますが、
宝暦10年10月番付
西方二段目10枚目
□□□右衛門
3字の□は解読不明
解読できたら、教えてもらえますか?
Re: 解読不明 - 名無しさん
2024/08/03 (Sat) 08:05:57
放嶋倉右衛門
って読めませんかね?
Re: 解読不明 - 星取大好き
2024/08/03 (Sat) 12:47:15
確かに!
かもしれません
ありがとうございました。
Re: 解読不明 - やまびこ勘太郎
2024/08/09 (Fri) 22:28:10
相撲史発掘で見たわけではないんですが、私のこの力士をなんと読むのかずっと疑問に思っています。
下の名前は「倉右衛門」でよさそうです。上の名前が難しいんですが、私は「敷嶋」かなあ、と思っています。ちょっと強引な感じもしますが『江戸時代相撲名鑑』によれば、同時代に「敷嶋蔵右衛門」という力士もいたようで(大坂の相撲に出場)、同一人の可能性があるかなあ、と。もっとも『江戸時代相撲名鑑』は間違いが多い本なのでどれだけ信用できるかはわかりませんが。
他の方のご意見も伺いたいですね。
Re: 解読不明 - ひげ
2024/08/10 (Sat) 05:35:00
明治・大正時代の敷島も下位時代は略字で書かれていますが、放や麦にも見える字です。放嶋も敷嶋も可能性があると思います。
Re: 解読不明 - しろしたかれい
2024/08/10 (Sat) 22:05:54
「敷」日本古典籍くずし字データセット
ttp://codh.rois.ac.jp/char-shape/unicode/U+6577/
(先頭にhを加えてください)
宝暦10年10月の番付と上記を比較するに敷嶋が妥当と思います。
Re: 解読不明 - 星取大好き
2024/08/11 (Sun) 11:26:18
心の強いコメントを頂きました。本当にありがとうございました。他も解読不明な部分があると思いますが、調べてみます。
110年ぶり - ひげ
2024/03/25 (Mon) 23:12:46
110年ぶりの記録ということで珍しくマスコミなどでも尊富士の優勝が取り上げられています。
当時は今とは事情が違うとはいえ新入幕早々、優勝掲額・優勝旗手になったことは偉業と思いますが世間の反応はどんなものだったのでしょうか。
優勝制度以前とはいえ明治21年の小錦、明治32年の常陸山も新十両→新入幕と連続の最優秀成績を残しています。小錦の場合相撲ぶりとその風貌からこの頃より人気が高かったと言います。
小屋掛け時代は同点の場合下位力士を表彰するという文化もあったあたり、今以上に平幕の好成績力士は称えられていたとも考えますが、横綱大関は勝って当然の地位とはいえ引分に持ち込んで面目を保つといったこともできたのでしょう。実際そのようなことも間々あったといいます。
両国優勝の場所に太刀山が相星にするために弟子の寒玉子を休ませるのも、工作が可能であった時代ならではですが。
東西制ができて数年の時期ということで、優勝はじめ表彰に対する価値や感覚がなかったとも考えていますが。
長くなってしまいました。
Re: - gans@作成者
2024/07/02 (Tue) 21:24:31
尊富士も十両に下がってしまいましたね。
残留できるかと思っていたんですが・・・
二代目霧島の年齢表示が間違っていますよ - 通りすがり
2024/01/30 (Tue) 20:32:14
1996年4月24日(27歳)生まれなので、2歳分くらいずっとズレてしまっているようですね。
いつも見させていただいています!
Re: - gans@作成者
2024/02/02 (Fri) 00:34:33
ありがとうございます(・ω・)ノ
大変失礼しました。
今週末には直せると思います、すみません!
Re: - gans@作成者
2024/02/04 (Sun) 22:02:02
手元で登録していた生年月日が違っていたため、
入幕後すべての場所で年齢が間違っていました。
修正しました(・ω・)ノ
お知らせいただき、ありがとうございました!
明治34年夏場所 - 高いびき
2024/01/31 (Wed) 08:50:46
はじめて投稿いたします。
こちらのサイトは下記のように何か思いついたときに手軽に調べられるので重宝いたしております。
『大相撲ジャーナル』平成27年8月号掲載の
荒井太郎「大相撲意外史」第13回で
山本義一『大相撲年代鑑』(昭和14年)記載の
「小屋掛け時代の優勝決定に就いて」という項目の
検証がおこなわれています。
すなわち明治中期以降の小屋掛け時代、
最高成績で同点者がいた場合
番付下位の力士を優勝とする風潮があったというので
該当しそうな場所を調べてみたところ
明治26年夏 東大関 小錦 東前5 今泉
明治28年夏 西小結 大砲 西前2 海山
明治31年夏 東大関 朝汐 西前2 梅ノ谷
(投稿者注 西張関脇 大砲も)
明治34年夏 東小結 荒岩 東前5 鬼龍山
のうち前3場所については番付下位の力士が
表彰されたという報道は確認できなかったものの、
最後の明治34年夏場所はともに8勝1敗で
明らかに小結の荒岩が優勝となるところ、
平幕の鬼龍山が
「東京麦酒会社の懸賞褌及び明治屋より羽織一着金二五圓」(時事新報)
「恵比寿ビールの化粧廻し」(報知新聞)
を受けたと報じられており、
この時代の優勝力士は各スポンサーの裁量によって決定されており、
明確な基準が定められていなかったのではないかと推測されています。
ところで『大相撲文化』連載の相沢亮「四豪時代」(第九号)によりますと
明治42年の国技館開館時にはじまった時事新報の優勝掲額制度に先立ち、
明治32年春から同社より成績優秀者に「懸賞化粧廻し」を贈呈することになり、
その様子は本サイトの当場所9日目の新聞記事にもありますが、
贈呈基準として
「全勝二名以上の時はより多く己より上位に勝った者」
「全勝なければ成績優秀者に与える」
と公表されたことにより
下位力士の方が自然有利となると評されています。
この基準がそのまま援用されていたとして
明治34年夏場所を検討してみますと
8日目を終えた時点で7勝1敗は3人
(カッコ内は破った上位力士)
常陸山(大砲)
荒岩(朝汐)
鬼龍山(逆鉾、稲川)
9日目の対戦相手が同位の常陸山(梅ノ谷)に対し、
荒岩は稲川、鬼龍山は大蛇潟とともに上位で
先に土俵に上がった鬼龍山が勝ったことにより
「最優勝力士」となったのではないかと考えられます。
長くなりましたが
管理人のgansさんや掲示板に投稿されるみなさまに感謝いたします。
Re: - gans@作成者
2024/02/02 (Fri) 00:37:44
レトロ相撲記事にそういう記述はありましたが、詳しく検証はしてませんでした。
明治時代の大相撲は面白いですね。
大変マニアックな方が多くてあまり返信できませんが、当掲示板では自由に発信して頂ければと思います(・ω・)ノ
令和の相撲の年の記入ミス - 匿名
2024/01/27 (Sat) 18:53:51
令和の相撲の年の部分が2019 2020 2020 2021 2021となってます。
Re: - gans@作成者
2024/01/30 (Tue) 02:08:46
お知らせいただき、ありがとうございます(・ω・)ノ
今場所の更新にあわせ、修正しました!
9月場所後の相撲のトピックス - ビスタカー
2023/10/08 (Sun) 23:36:15
今度は今年の9月場所後の相撲のトピックスについて書いてみます。
1.貴景勝の綱取り
今年の9月場所は貴景勝が優勝したので、綱取りが話題になっていますが、11勝4敗と15日制の幕内最高優勝としては最低タイの成績で、2017年9月場所に日馬富士が優勝して以来6年ぶりで、史上4例目です。相撲内容(特に優勝決定戦の熱海富士相手に変化・はたき込み)のこともあって、佐渡ヶ嶽審判部長は11月場所を明確な綱取り場所とすることには否定的だった一方、横審の山内昌之委員長は「多くの条件や前提が満たされた場合、綱とりの期待が懸かる場所」としています。もし11月場所も11勝や12勝といったレベルの低い優勝だと、綱取りに関する議論は紛糾しそうですし、横綱昇進見送りの可能性も十分にありそうです。それでもし「2場所連続優勝しながら横綱昇進見送り」になるようなことがあれば、横審発足以前の1950年1月場所後の千代の山以来ということになります。僕自身は貴景勝は応援している力士の一人ですが。
2.庄之助&立呼出、長期空位解消だが停年退職前の駆け込み昇格
9月場所後、41代式守伊之助の38代木村庄之助への昇格と、三役呼出次郎の立呼出への昇格が発表されました(正式な昇格は来年2024年の1月場所番付から)。これにより木村庄之助は9年近く、立呼出も4年間にわたる空位が解消されることになり、いずれも大相撲史上最長となります(もっとも立呼出に関しては呼出の番付制導入が1994年7月場所と大相撲自体の歴史から見ても歴史がかなり浅く、呼出の番付制導入当時序ノ口呼出だった呼出がまだ立呼出になっておらず、当時序ノ口呼出だった邦夫は現在十両呼出で、今回立呼出に昇格する次郎は当時幕下呼出でしたが)。
しかし、41代伊之助は裁きが安定せず、これが木村庄之助空位の状態が長期化する要因となっていたとされ、今回の昇格はある若手親方によると停年退職への花道としての昇格とのことでしたが、そのような裁きが安定しない行司を立行司に(三役格から式守伊之助に)昇格させてしまった反省から、そこで一旦式守伊之助は空位となり、次の式守伊之助は1年間かけて4人の三役格行司の中から見定める方針としているとのことです。41代伊之助に次ぐ地位の木村玉治郎が退職しましたが、41代伊之助の38代庄之助への昇格と同時に木村玉治郎の式守伊之助への昇格が発表されず、今回の41代伊之助の38代庄之助への昇格に対する協会への抗議の意味もあったのではないかとする報道もあります。
今回立呼出に昇格する次郎については、同時に三役呼出克之の副立呼出への昇格も発表されましたが、親方衆や好角家の間で「音痴」との声も一定数あり(「聞きようによっては味わいがある」とのネットの記事もありましたが)、そのことが長らく昇格が見送られてきた原因と見られ、次郎も41代伊之助→38代庄之助と同様、停年退職への花道としての昇格と見られます。一時期番付上の序列で克之に抜かれていたこともあったぐらいです。ただ、土俵作りでは長期にわたり実力を発揮し、「土俵作りの名人」の異名を持ちます。
3.幕下付出の制度改正
1966年5月から2000年9月までは幕下付出は最下位の60枚目格でしたが、2000年9月からは幕下付出は10枚目格と15枚目格(基準は厳格化)となりました。それが今年の9月場所後の今回の改正で幕下付出の地位は最下位の60枚目格となり、地位としては2000年9月以前の制度に戻る形となり、幕下付出から直接1場所で十両に昇進することは事実上不可能になりましたが、幕下付出の対象は拡大する形となっており、そこが2000年9月以前の制度と異なる点のようです。
おまけ(前回の投稿の時も出していた話題ですが)
戦後出ていない部屋名:待乳山部屋・玉垣部屋・粂川部屋・不知火部屋・出来山部屋・待乳山部屋・山科部屋・白玉部屋・岩友部屋・清見潟部屋・千田川部屋・勝ノ浦部屋・根岸部屋(止め名として実質的に年寄名跡廃止)・稲川部屋・関ノ戸部屋・竹縄部屋・濱風部屋・秀ノ山部屋
現在では立行司名として知られる木村庄之助や式守伊之助も、実はかつては年寄名跡でもあり、江戸時代には「木村庄之助部屋」や「式守伊之助部屋」といったものもあったようです。
戦後襲名されていない行司名:木村清之助(かつての大坂相撲の立行司名)・木村喜代治・木村庄五郎・木村竜五郎・木村一学・木村亘り・木村多司馬・式守卯之助・式守見蔵
秀ノ山部屋は琴奨菊が来年2024に名称としては110年ぶりに再興予定です。他にも上に挙げたような辺りの部屋名や行司名がどんどん復活してくると面白いのですが・・・。
ちなみに近年の戦後出ていなかった部屋名・行司名の復活例は、前回も出しましたが、雷部屋・浅香山部屋・木村銀治郎といった例があります。
戦後に例がありますが、かつて立行司名・副立行司名として用いられた木村玉之助についても、あるサイトによれば、裁きの安定しない41代伊之助(→38代庄之助)の代わりに別の三役格行司を、副立行司としての木村玉之助を復活させてそれを経由して最終的に木村庄之助へ昇進させる案も提唱されていました。
Re: 9月場所後の相撲のトピックス - ビスタカー
2023/10/09 (Mon) 00:10:34
ちょっと訂正です。雷部屋については戦後1957年に番神山が開いていました。
宝暦7年以前の番付 - ひげ
2023/10/07 (Sat) 20:16:29
最近山本義一著「相撲起顕増補版」(昭和19年発行)を読みました。
この書籍の特色はここの方は御存知でしょうが、元禄以降横2枚番付時代の大阪・京都の番付が活字で収録されていることです。
しかし年寄名跡の代々などで小池謙一氏が指摘されているように戦時中の刊行もあってか東西が逆であったり、別の年代の力士が混ざるなど誤植が多く年代含め参考程度にしかなりません。
番付の出典が明らかではないのが最大の謎ですが戦前まではそれだけの番付が現存しており、戦災で殆ど失われたのでしょうか。(丁度100年になる関東大震災でも多くの文献が失われことは予想がつきます)山本氏は戦後もしばらく健在だったようですが何か出典について言及してないのでしょうか。
一部しか現存していなかった番付が宝暦7年10月以降ほぼ連続して現存しているのも何故なのか気になります。
五十嵐敬之助(明治43年1月入幕) 訂正 - 星取大好き
2023/09/03 (Sun) 17:29:57
五十嵐敬之助
明治38年5月場所
西三段目27 滝ノ戸啓五郎
明治39年1月場所 (不明)
明治39年5月場所 (不明)
明治40年1月場所
東三段目14 滝ノ乙啓五郎
明治38年5月場所後、2場所続き番付から消えた(見落としたかもしらない)
この力士も錦戸春吉のような脱走した?
明治から大正は脱走した力士が多かったと思いました
Re: 五十嵐敬之助(明治43年1月入幕) 訂正 - 名無しさん
2023/09/06 (Wed) 07:17:07
年寄名跡の代々など他資料によると
明治39年1月場所 入営・兵役
明治39年5月場所 番付外出場
になります。