星取掲示板

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質問です - 鵬鵬

2016/08/25 (Thu) 12:15:24

ひとつ質問させてください。
ベースボール・マガジン社「相撲」誌の総決算号には、その場所の幕内全取組の内容(右四つになって寄って回り込んで……というやつです)が載ってますよね。私が読み始めた昭和40年代にはすでにあったと思うのですが、いつから始まったかご存じの方はいらっしゃいますか。
お教えいただければ幸いです。

勝負附見落し→星取表脱落 相撲史研究者・田中 健

2016/07/20 (Wed) 08:04:52

 明和五(1768)年九月〔「春…」は可笑しい〕
初日、東幕下5秋津川は◯荒飛(西三段目7)
━『日本相撲史』編纂者が勝負附を見落したと
思われます。

Re: 勝負附見落し→星取表脱落 - やまびこ勘太郎

2016/07/30 (Sat) 00:46:12

横レス失礼します。
当該場所の初日は、二段目以上全員が「や」ですね。
田中さんのおっしゃるとおりとすれば、その取組が最も上位だったということでしょうか?それとも、ほかにも上位の取組があったんでしょうか?いったいその日はどんな取組が組まれていたんでしょう。

Re: 勝負附見落し→星取表脱落 相撲史研究者・田中 健

2016/08/02 (Tue) 07:46:02

 当方のブログ「相撲史に関心・興味のある方どうぞ」
去る7月18日夜の「眼が痛くなりそう」をご覧になって
ください。

Re: 勝負附見落し→星取表脱落 - やまびこ勘太郎

2016/08/08 (Mon) 23:24:15

>田中さん
 拝見しました。なるほどやはり秋津川が初日出場力士中の最上位だったわけですね。しかし、その日の取組を見ると、これで興行が成り立つんだろうか?と首を捻るような顔ぶれですね。

大阪明治36年1月場所 - しろしたかれい

2016/05/02 (Mon) 14:04:46

萬朝報の星取表との異同がありましたのでご報告。

①東前頭14の唐錦の6日目(×鷲ケ濱)と7日目(や梅の森)が入れ替わり。梅の森の側では6日目や唐錦となってるので元資料の誤りでしょう。

②西番付外で鷲ケ濱出場7日目○唐錦、8日目○緑リ川、9日目×小松山、10日目×相手読めず とあるもののおそらく7日目は×、9日目は○の誤りか。翌場所西7枚目なので幕内格かも。

Re: - gans@作成者

2016/05/19 (Thu) 00:48:11

萬朝報に大阪相撲の結果が載っていたのですか。
これは参考になりそうです。
しばらく資料収集して、大阪相撲の星取訂正と
十両星取表の追加をする予定でおります(・ω・)ノ

Re: 大阪明治36年1月場所 - しろしたかれい

2016/05/20 (Fri) 18:26:27

萬朝報では大阪相撲は番付発表と場所後に幕内の星取表だけ載ってますね。対戦相手も載ってるのですがひらがなで小さく書かれているので図書館で見れる復刻版ではかすれて読めないところが多いです。

Re: - gans@作成者

2016/05/23 (Mon) 00:16:46

日々の結果は載ってなく場所後の星取表だけなんですか。萬朝報は近くの図書館にもあるのでチェックしてみます。
今回、少し遠征して大阪朝日新聞から資料採取しました。鷲ヶ濱はおっしゃる通りに7×唐錦、9○小松山のようです。
千秋楽は×大湊(西十両2)のようです。鷲ヶ濱は十両の星取表に出ています。2勝0敗2分で翌場所が前頭中位、
幕内格とも言えそうですが十両筆頭格くらいか・・
もう少し記事を読み込めば何か書いてあったかも知れませんが、
今回は十両星取表に重点を置いて採取したので近々反映させます(・ω・)ノ

大正12年1月 - しろしたかれい

2016/04/15 (Fri) 11:36:09

萬朝報を眺めていたら気がついたことがあったので少々。

①初日の千葉ノ音-多良ケ嶽は野球界でも多良の勝となってますが萬朝報の手捌きでは「千葉音に多良嶽は右四つ上手投にて千葉の勝」とあり、何かのついでに相撲博物館に問合せようかと。
②七日目桐ノ花-五葉山は分とありますが「五葉山に桐の花は左四つで揉み合ひ桐、敵を引落したが其の際五葉の褌が解けて居たので行司、注意の為め声を掛けて手を出した途端勝負が付いたので五葉より物言付預りとなつた」とあるので預が適当かと(野球界でも預)。
③五日目小田野山-高ノ濱は「小田の山に高の濱は立上り小田、ハタき高の泳ぐを押切つて小田の勝であつたが行司、高の踏切を見落し残つた残つたと言つたので今度は高がハタいて残るを押出し高へ団扇が揚り物言となつて結局土俵預り小田の勝となる」とあり、土俵預りなら勝負付上でも小田野山の白星がつくと思われますが預のままの理由は不明です。これも相撲博物館に問合せようかと。

ルールが違う時代の手捌きを読むのは楽しいですね。

Re: 大正12年1月 - しろしたかれい

2016/04/15 (Fri) 15:18:43

あら、千秋楽の星取表では多良の勝になってる

Re: - gans@作成者

2016/04/15 (Fri) 21:26:47

なるほど細かく見ると色々ありますね(・ω・)
2番目は完全に預かりですねえ・・過去の勝負の検証と訂正はなかなか出来ておりません。
昔の手捌きを紹介していた弊サイト付属の相撲記事ブログ、年内には更新再開できるように作り溜めをしている所です。
あと、もう一度大阪相撲の資料収集をして星取表の整合を確認したいと思います。
もうずいぶん前にご指摘を受けたまま対応できない状態でしたが、これも年内には何とかしたいです。
大阪相撲は十両の星取までは載せたいと思っています。
しろした様、博物館からの情報で何か分かれば
また教えて頂けませんか(・ω・)ノ

Re: 大正12年1月 - 紅葉橋律乃介 URL

2016/04/17 (Sun) 19:47:30

大阪相撲の情報、取り組み以外に裏方さん(特に行司)のものはないでしょうか。
大正期までは東京も資料が少ないようで…。

Re: 大正12年1月 - しろしたかれい

2016/04/17 (Sun) 23:00:16

大阪相撲の行司ですがとりあえず大正14年5月の番付に載っている者の名前だけ

立行司 木村 玉之助
立行司 木村 清之助
立行司 岩井 正朝
二段行司 岩井 房之助
二段行司 木村 誠道
二段行司 木村 玉光
二段行司 木村 正直
二段行司 木村 友治郎
三段行司 岩井 國三郎
三段行司 木村 直之助
三段行司 木村 啓太郎
三段行司 木村 小太郎
三段行司 木村 金太郎
三段行司 木村 謹吾
三段行司 木村 勝次
四段行司 木村 幸夫
四段行司 木村 幸之助
四段行司 木村 隆
四段行司 木村 磯松
四段行司 木村 正一
四段行司 木村 倉吉
四段行司 木村 力三
四段行司 木村 滝夫
四段行司 木村 小玉
四段行司 木村 正春
四段行司 木村 宗太郎
四段行司 木村 玉男

Re: 大正12年1月 - 田口茂

2016/04/23 (Sat) 08:49:54

 できれば明治から大正にかけて、しばしば行われていた「東西合併大相撲」の星取り表も掲載してほしいですが、たぶん資料はそろわないでしょうね。
 それと大正11年3月に行われた「国分け大相撲」。東西両協会の全力士の出身地を東西に分けて対抗戦を行うというもの。10日間の興行で、本場所では見られなかった「栃木山ー大錦」戦が実現。もし、資料があれば掲載してほしいものです。

Re: 大正12年1月 - 紅葉橋律乃介 URL

2016/04/24 (Sun) 14:46:40

> しろしたかれいさん

ありがとうございます。大正14年の時点でも岩井家は存在したのですね。昭和2年以降に存在した行司名も見えますが、力士と同様に東上した行司も少ないんですね…。

Re: 大正12年1月 - しろしたかれい

2016/04/27 (Wed) 13:54:19

近世日本相撲史に載ってる連盟相撲の番付には岩井国三郎の名は見えますが岩井家はこれが最後のようです。

昭和2年1月の番付で加入した大阪相撲出身の行司は玉之助、清之助、玉光、正直、友治郎、小太郎、勝次、啓太郎、金吾、磯松、倉吉、力三、滝夫(滝三)、正春、小玉、宗太郎かと。
誠道は東京の3代誠道とは同名の別人のようです。

96年九州場所の栃東 - AHHK

2015/05/26 (Tue) 22:12:28

件名の通りです。

今回の大混戦でこの場所の星取表を見たのですが、上位の成績優秀力士一覧の表記からこの場所新入幕で10勝5敗の栃東の名がことごとく抜けているように思います。

ご確認お願いします

Re: - gans@作成者

2015/06/05 (Fri) 22:59:19

AHHK様ありがとうございます(・ω・)ノ
見落としておりました、おかげ様で修正できました。
ご指摘ありがとうございます。

Re: 1972年夏場所 - AHHK

2015/06/26 (Fri) 15:57:23

もうひとつ見つけました。

1972年夏場所14日目の4敗力士から陸奥嵐が抜けております。
よろしくお願いします。

Re: - gans@作成者

2015/06/30 (Tue) 17:37:19

ご指摘の通り、14日目に陸奥嵐が4敗で残っていました。
細かいところ気付いて頂いてありがとうございます。
おかげ様で修正できました(・ω・)ノ

Re: 96年九州場所の栃東 - AHHK

2015/11/24 (Tue) 15:23:44

何度もすみません。

何気なしに優勝争いはこうだったのかな、と見て回っているので気が付いてしまいます。
昭和56年1月場所千秋楽の5敗力士から栃光が漏れています。

Re: - gans@作成者

2016/03/07 (Mon) 19:36:45

すみません、せっかくお知らせ頂いたのに
4ヶ月もの間、訂正できていませんでした。
昭和56年1月場所の栃光、補完いたしました(・ω・)ノ

稲妻VS柏戸が幻に… 相撲史研究者・田中 健

2016/02/21 (Sun) 21:48:28

 天保三(1832)年冬場所、稲妻・柏戸の両力士が
「や」ですが当初“割”が組まれていたと思えます。
大胆に推察すれば、「無勝負」なる曖昧な判定を
回避するため勝負附から除外したのでしょう…。
 無勝負が文政期に多発して、天保に入ると減少、
幕末に激減しております。

稀勢の里10勝 - やまびこ勘太郎

2015/11/23 (Mon) 19:32:56

千秋楽の幕切れは予想外のものでした。
稀勢の里が日馬富士を破って10勝を挙げました。稀勢の里は、優勝がないんですが二桁勝利を挙げることはたびたびです。最近でこそ少しペースが落ちましたが、大関昇進から2年間はほとんど二桁勝利です。これほど安定感のある大関はそうそういないんじゃないかと思って調べてみました。
稀勢の里が大関で二桁勝利を挙げたのは18回目ですが、これは、千代大海(27回)、魁皇(25回)に次ぎ、小錦、貴ノ浪と並んで大関としては史上3位でした。しかもペースが速い。18回目に達したのは大関昇進後24場所目で、これは魁皇のペースより1場所速いものでした。
因みに、豊山と北天佑が16回、貴ノ花が15回です。
稀勢の里の土俵に関しては、歯がゆさを感じることのほうが多いのですが、大関としての安定感はピカイチと言ってもいいようです(もちろん優勝がないという物足りなさはありますが)。ただ、それで終わるのはなんとももったいないとも言えます。
体力・パワーの圧力でどうにかしようという相撲ぶりが目につきますが、もう少し緻密さがあればいいのに。最近、やや上体が突っ立っている感じで衰えの兆候かな、という気もします。

以上、稀勢の里の記録が面白いと思って書き込みました。

Re: 稀勢の里10勝 - 田口茂

2015/11/24 (Tue) 22:39:58

 稀勢の里は今年を終わって、大関在位勝率6割9分1厘(249勝111敗)。
 この勝率は、横綱になった力士を除いて、大関止まりの力士としては、何と戦後最高どころか、昭和最高です。まさに「昭和以降最強の大関」たる所以。無冠の帝王。
 横綱になった力士でも、この勝率を超えているのは半数を超えません。
 さて今場所、他の横綱大関は、すべて故障を抱えており、故障のない稀勢の里にとって絶好の優勝のチャンスと思ったのですが、案の定終盤崩れました。豊ノ島にあっけなく負けたあと、横綱大関に一方的な相撲で破れて4連敗。千秋楽の日馬富士には、あっけなく負けると思いきや、今場所もっともいい立ち合いをして完勝。テレビの解説陣に、何故毎日こういう立ち合いが出来ないのかといわれる始末。
 やはりこうしてみると、精神面の問題としか考えられないですね。優勝がかかるとガチガチに。来年照ノ富士の故障が癒えてしまうと、もう稀勢の里の優勝のチャンスはないのではないでしょうか。そう思われてしまいます。今がピークでもう上がり目はないでしょう。このまま「万年大関」で終わってしまうのでしょうか。

Re: 稀勢の里10勝 - ねこぱんだ

2016/02/09 (Tue) 08:19:08

稀勢の里は1月場所で、これより三役30回登場となりました。にもかかわらず、千秋楽結び未経験という記録も更新中です。ちなみに、結び未経験でこれより三役登場回数のランキングは、琴奨菊が24回、旭國が21回、若羽黒と琴ヶ濱が20回と続いています。この記録も伸びるかもしれませんね。

白鵬休場 - 田口茂

2015/09/16 (Wed) 11:32:01

横綱になってから一度も休まなかった白鵬がついに休場しました。それにより彼の持つ様々な大記録がストップすることになりました。

横綱連続出場 722 史上1位
幕内連続勝ち越し 51 史上1位
連続二桁勝利 51 史上1位
通算連続勝ち越し 51 史上2位(1位は武蔵丸の55)

なお、マスコミは通算連続勝ち越しは昭和以降で2位という記事になっていますが、ありえません。江戸、明治、大正で、51場所連続勝ち越しなんて力士はいません。
それにしても場所前から白鵬の周りで、土俵外の話題が多かったような気がします。これを機にゆっくり休養してくさいと言いたいです。

Re: - gans@作成者

2015/11/07 (Sat) 16:53:59

九州場所は3横綱とも出場のようですね。
白鵬は特に、休場明けの場所というのが久しぶりで
先場所も連敗したまま終わってますから、どこまで
立て直してくるのか。気持ちの張りを少しなくしている
ようにも見えますので、序盤を順調に乗り切れるのか
どうなのかなと思いますね。

旭天鵬 - 田口茂

2015/09/03 (Thu) 14:53:25

 今日発売の「相撲」9月号に、引退した旭天鵬の全成績がのっていました。それを見るとやはり平成5初の序二段8日目の龍勝山戦は不戦敗となっています。
 毎号掲載される通算出場記録一覧では「不戦敗は休みとする」という但し書きがついていますから、不戦敗は出場ではありません。よって旭天鵬の正しい数字は1871ではなく、一つ引いて1870となります。この点について早速雑誌「相撲」編集部に問い合わせの手紙を出しました。
 ご丁寧にも、引退記事の中では1871となっています。編集部の方々は、この件に関し、全然気づかなかったのでしょうか。不思議なところです。
 それもこれも協会の記録に対する無頓着のあらわれではないでしょうか。他の分野、とくに野球や競馬は緻密に記録が網羅されています。細かい記録まで。
 昭和30年代、大晃ら3人に序ノ口以来の1000回連続出場を表彰したり、青葉城の最高記録はギネスブック入りまでしたりしている。
 だからこそ記録は正確にするべきで、不戦勝不戦敗の記録は、普通の勝負と明確に区別するべきです。ところが、そうした細かい記録は、すべてマスコミまかせ。今だに協会発行の星取り表には、不戦勝不戦敗の区別もない。幕内十両でも。決まり手の欄に「不」と記してあるので、やっとわかるという次第。幕下以下はお手上げ。
 (私自身は平成に入ってからの星取り表は日刊スポーツにのったものをずっと収集している。スクラップブックとして)
 今までの幕下以下の取り組みの中で、電車が遅れたかあるいは事故か何かで、取り組みに遅れた力士は何人かいます。当然不戦敗になりますが、協会では細かく記録しない。区別せず◯●ですます。これでは休んだかどうかはわからない。
 幸いにも、昭和62年から雑誌「大相撲」が幕下以下の取り組みに決まり手をつけ出したので、やっと正確な記録がはじまったわけです。それまで厳密にはわからないわけです。
 昭和62年以前はそうした不戦敗が「ない」と仮定しての記録。旭天鵬の突然休場のケース、遅刻のケース、7番目が不戦敗のケースは、そうめったにあるものではありません。たしかに。
 又、途中休場のケースも、取り組みが決まってから休むのか、(その場合は当然不戦敗のケース)、決まってなくて休むのかが、不明確。(その場合不戦なしで休むことになる)
 問題は出場したかどうか。出場しても棄権のケースがある。
 今まで、力士の生涯星取り表を記した本は何冊かありますが、幕下以下の不戦についてはいっさいふれていません。

 ま、今まで書いたことは、人によってはどうでいいことかもしれません。記録に無関心の人には。
 私自身、相撲で一番関心ある事柄は、力士の勝ち負けの記録です。それと○●の表記の醍醐味。子供のころ一番関心を抱いたのはそこです。いわば星取りの世界。長々と失礼しました。

常陸山 - まきごん

2015/08/13 (Thu) 14:00:48

初めて投稿します。
かつては雑誌「相撲」質疑応答コーナーで池田雅雄氏に何度か私の質問に対して答えていただいたことがあります。

こちらの掲示板も詳しい方が多いと存じ質問させていただきます。

常陸山は幕下時代に脱走して復帰した時は既に三役級の力が付いていたといいますが、脱走時になにがあったのでしょうか?

仮説1 脱走前も三役級の地力は既にあった。周りが気がつかなかっただけ。
仮説2 脱走後、大阪相撲や名古屋相撲でいい稽古相手に出会った。
仮説3 脱走後、抱えていたトラブルが解消してメンタル的に前向きになった。

ご存じの方、よろしくお願いします。

Re: 常陸山 - Namityuu

2015/08/16 (Sun) 07:15:20

 私も初めて投稿します。
 私は、茨城県に住んでいたことがあり、特に稲妻、常陸山、男女ノ川のことを気にかけております。
 既にご存知の方から解答があれば私としても好ましいのですが、まだ、解答がないようです。
 存じてもなく、また、解答でもない、単なる個人的意見ですが、以下記します。

 常陸山のことを中心に、式守氏あるいは風見氏等が書かれた本もあり、何れも素晴らしい内容に存じます。
 常陸山中心ではないものの、 (お持ちの方は少なくないかと存じますが) 私は1970年代に出版された能見氏の横綱物語の記述を好みます。

 「脱走して復帰した時」からの
「な、なんだ、あいつは? どこから来たんだ。えッ。あんな力士(すもう)がどこにいたんだ?」
という記述から始まり、この段階で私には惹かれるものがあります。

 その後、
「なぜ、弱い幕下が、一年半の脱走中、こうも一ぺんに強くなったのかは、奇跡としか言いようがない。しかし、脱走中の二十一歳から二十三歳までの一年半は、力士として、最も体のできる時期。レベルの低い地方相撲で関取格で暮らせば、食い物も良かったであろう。ハズミがついて、グンと肥ることもある。
 もう一つ、将器とでもいうのか、上に立つほど力の出る素質というものがある。元来胸を出す相撲の常陸山は、目方のないころは本場所の立合いについていけなかった。それが体も充実し、地方相撲で胸を出す稽古をつづけるうち地力が一ぺんにつき、それを勝ちにつなげる取口が開花したとも見ていい。生まれつき持ち合わせていた剛力も、相撲に生かせるようになったわけだ。」
という記述があり、私にはとても惹かれる内容です。

 上記にあるように「奇跡としか言いようがない。」と私にも思われ、何れにしても私には仮説にすぎないのですが、以下、ご参考まで。

 ご指摘の仮説1につき「地力」を「素質」とし、
仮説2につき「稽古相手」を「待遇」とし、
「三役級となる素質は既にあった。脱走後、大阪相撲や名古屋相撲でいい待遇に出会って、それが開花した。」
あたりが、私の好みにあいます。
 「地力」は「実力」という意味にもとれ、脱走前はそこまでのものは、なかったのではないのでしょうか。そのこともあり、「将来的な三役級」の意味合いも含む「素質」を使いました。
 また、ここでの「待遇」は「稽古相手」よりも広い意味で使用しております。換言すれば、ここで使用した「待遇」にはもちろん、ご指摘の「稽古相手」も含まれます。
 しかし、例えば、「稽古相手」とは言い難い、脱走中の大碇との出来事も重要に思われ、また、脱走中の「待遇」がよかったため、大碇との割が組まれたように思われます。これらのことから、「待遇」を使いました。
 尚、脱走前にはあったとされる金銭的なトラブルも、復帰時にはなくなっていたようですので、そのこと等から、もちろん、仮説3も捨て難い内容です。

Re: 常陸山 - まきごん

2015/08/16 (Sun) 15:54:14

コメントありがとうございます。
「横綱物語」は通っていた図書館にあったと記憶しています。しかし能見氏の血液型類型学に子供だった私は拒絶感を持ち、読まないままでした。目を通していればよかったです。

脱走中に体格がよくなった、というのは私も仮説にしようか迷ったところでしたが、考えてみると一年余りで見違える体格になることはよくあることでしっくりきます。明治30年頃だと東京相撲と言えど取的の食事は当然貧相だったろうし、師匠が師匠だったし。
管理人様のレトロ相撲記事紹介で何か参考ななる記事があればいいですね。


話は飛躍しますが、東京でダメダメだった若島が大横綱になり、東京の上位陣とも互角に取れるようになったところの経緯も気になります。


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