星取掲示板

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「●布川」の確認は…? 相撲史研究者・田中 健

2020/05/16 (Sat) 14:35:13

 天保十年春場所、西前5布川の5日目は
「●武隈」とありますが、『日本相撲史』の
ミスで、『相撲起顯』は「武くま 布 川」
とあります。でも、『起顯』だって脱落・誤謬
は少なくありません。
 やはり三河屋版の原本勝負附で“確認”された
のでしょうか。

Re: - gans@作成者

2020/08/01 (Sat) 13:18:37

勝負附けでの確認はしておりません。
(勝)武隈-布川(敗)は誤りで、日本相撲史と相撲起顕
両方が間違ってるという事でしょうか?

天保四年春の伊吹嶋 - しろしたかれい

2020/05/18 (Mon) 20:19:46

天保四年春の伊吹嶋(翌場所栂ノ峰に改名)は六日目から休場となっていますが、
日本相撲史のミスで当場所六日目から栂ノ峰に改名しており六日目荒井崎と引分、七日目山崎に勝、八日目から休場となっています。

Re: - gans@作成者

2020/08/01 (Sat) 13:02:38

しろした様、情報ありがとうございます!
伊吹嶋の改名と星取表の修正を行いました。
しばらく管理から離れており、対応が大変遅れまして
申し訳ありませんでした。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

質問 立行司はいつできたのか Abu Tsubasa

2020/05/19 (Tue) 12:30:16

この掲示板の紹介を受けました。10年来(と言ってここ10年ほど相撲から遠ざかってましたが)疑問に思っていることがありますので質問させてください、

立行司っていつぐらいから制度が確立したんでしょうかね?また語源派?

明治20年から30年の間にできたんだと思っているのですがよくわかりませんでした。語源は歌舞伎の立役者、大立者、立女形と同根ではないかと推測しています(又は歌舞伎を参照にした。)

Re: 質問 立行司はいつできたのか - しろしたかれい

2020/06/29 (Mon) 18:38:52

行司の研究で知られる専修大学の根間弘海氏の「番付の行司」という論文によると、立行司という用語がいつから使われるようになったかはわからないが明治25年には新聞で使用が確認できるそうです。制度としての立行司の始まりというと行司のトップ(木村庄之助)を指すのか吉田司家により紫白の房を免許された者を指すのかなど定義によって変わるかと思います。

中止された本場所 - やまびこ勘太郎

2020/05/09 (Sat) 12:07:30

夏場所が中止となり、過去に中止された場所のことが話題になっていますが、中でも興味を引くのは昭和21年夏場所です。
このときは、東京での本場所は、国技館の修復が間に合わず中止になったそうですが、6月に大阪でそれに代わる準場所が開催され、番付の昇降はなかったものの、本場所と同列に扱われたとのこと。
そうすると、その場所の星取表も見たいなと思ってしまいます。琴錦が優勝したのは知ってますが、それ以外は知りません。どこかに資料ありますか?

Re: 中止された本場所 - しろしたかれい

2020/05/10 (Sun) 02:28:53

「相撲」昭和21年8.9月合併号に全62頁中口絵1頁本文9頁を費やして紹介されています。
星取表はありませんが11日間の十両以上の勝負結果と場所の様子が記されています。
琴錦が11戦全勝、東冨士と千代ノ山が10勝1敗(共に琴錦に負け)、横綱で1人出場した羽黒山が9勝2敗(五ツ海と東冨士に負け)
佐賀ノ花が5勝6敗、前田山が五日目から出場して1勝6敗、名寄岩が二日目から出て7勝3敗。
十両優勝は鏡里10勝1敗。
9勝2敗の駿河海と8勝3敗の豊錦がここを限りに廃業する旨の記載もあり、駿河海が漁師に豊錦が通訳に転向の意向とあります。
雨に祟られ客足は伸びなかったものの日曜日と重なった九日目は口絵のように大入りになったようです。

Re: 中止された本場所 - やまびこ勘太郎

2020/05/10 (Sun) 08:37:12

しろしたかれいさん早速ありがとうございます。やはり利用しやすい資料としてはないんですね。
千代ノ山強いですねえ。当時は、さぞ颯爽としていたのでしょうね。
もし余裕があればですが、備州山、不動岩、汐ノ海、櫻錦、柏戸の様子なども教えていただければ幸いです。

Re: 中止された本場所 - 田口茂

2020/05/10 (Sun) 09:45:06

昭和21年4月 京都で準本場所10日間 優勝羽黒山
  21年5月 占領軍に国技館が接収され使用は不可能に。よって本場所は中止
  21年6月 大阪阿倍野で準本場所11日間 優勝琴錦
  21年11月 国技館改めメモリアルホールで本場所開催。13日間。
 結局、旧両国国技館で開催される本場所は最後になりました。

 資料「大相撲名勝負ものがたり」

 21年6月の大阪準場所は、本場所並みに開催されたということですが、何で協会は5月の代替開催として本場所と認定しなかったのか不思議です。
 大正12年に起きた関東大震災で国技館が使えなくなり翌大正13年春、名古屋で本場所を開催された例があるので。

Re: 中止された本場所 - やまびこ勘太郎

2020/05/10 (Sun) 21:16:54

田口さんありがとうございます。
確かに、後世の我々から見れば、本場所と認定してくれていたほうがすっきりしますね。
それにしても、本場所並開催というなら、もう少し記録がちゃんと残っていてもいいように思います。

Re: 中止された本場所 - しろしたかれい

2020/05/10 (Sun) 22:51:51

自分も興味があったので星取表を作成しました。
画像で上げるにはサイズが大きすぎたため自分のHPにアップしています。
http://sirosita.web.fc2.com/memo/0004.html
休場者の内理由が示されているのは安藝ノ海、照國が病気のため。前田山、信州山が事故のため。名寄岩が負傷のため。柏戸が腹痛のため。双子岩が病気のためと記載。
「相撲」によると大阪で6月14日から晴天11日間興行の件は東京での夏場所中止前に既に決定していたもので、その後国技館修復の遅れや食糧難から夏場所の中止を決断。力士への補償の意味から大阪大場所を準本場所として給金直しを行う旨が記載されており本場所として行う予定は元々なかったようです。

Re: 中止された本場所 - やまびこ勘太郎

2020/05/11 (Mon) 20:14:57

しろしたかれいさん、ありがとうございます。
こうやって新しい資料を見ることができるのは非常に嬉しいことです。
準場所として開催された事情もよくわかりました。本場所並というのは後付けだったんですね。

Re: 中止された本場所 - やまびこ勘太郎

2020/05/12 (Tue) 18:38:38

しろしたかれいさんがアップされた星取表を改めて眺めてみました。
備州山や不動岩は、本場所の星取表だけだと、全盛期にどれほどの実力があったのかはっきりしないのですが、21年6月準場所の星取を見ると、(横綱大関の出場は少ないですが)三役級の実力があったのだと思われます。
駿河海と豊錦が好成績を挙げながら廃業というのも新たな発見ですね。駿河海は入幕してから不振続き、豊錦は復員して再度土俵に上がる気力がなくなったということのようですが、この準場所では元気な姿を見せていたのですね。

呼名 - 田口茂

2020/05/07 (Thu) 09:01:05

夏場所が中止。7月の名古屋場所は東京で開催。というのが協会の発表。
さて名称。東京の両国開催でも「名古屋場所」と呼ぶのだろうか。厳密には夏場所は7月に延期。名古屋場所が中止。というのが正確ではないだろうか。

実は「春場所」「夏場所」「秋場所」と四季をつけて呼ぶのは、マスコミがつけた通称。
協会の正式な場所の呼び名は月で呼ぶ。「5月場所」「7月場所」というように。
ですから、今回の件は5月場所は中止。7月の開催は東京に変更ということだと思います。
現時点では協会の正式発表はないが、マスコミは東京で開催しても名古屋場所と呼ぶのだろうか。
何故こだわるかというと好角家は力士の星取りに関心があるからです。

付記
「三密」を避けよと国は提唱しているが、それでは相撲は成り立たない。稽古もダメというのでは。多人数で食事でするチャンコもダメ。相撲文化が崩壊です。
 ユーチューブでは、多くの学者は「三密」というのは数字的な根拠がないと提言している。
 片方で国は三密を避けることを国民に強制しながら、片方では、今日から再び都市圏では満員の通勤電車が走る。矛盾極まりない。
 国に国民に対して生活の自由を奪う権限はないと思いますは

明治時代の一人横綱 - 田口茂

2020/02/25 (Tue) 16:33:19

「日本相撲史」によると、明治時代の一人横綱は、番付面では欄外に記入されており、厳密にいうと張り出し横綱ではないでしょうか。該当力士は西ノ海、小錦、大砲。
その内小錦は、大関不在の時に、大関を兼ね「大関横綱」として番付の枠内に記入されています。29年夏から31年春まで4場所。
 番付上で「正横綱」として初めて記入されたのは明治38年夏の梅ケ谷、常陸山から。直前の3場所は大関不在で「大関横綱」と表記されました)
 番付上、初めて「横綱」と言う文字が現れたのは明治24年春。それから実に14年後に「正横綱」が出現したということになります。

追記
「大関横綱」という表記があったとは知りませんでした。今までてっきり「横綱大関」とばかり思っていました。
 調べてみると番付面で「大関横綱」と表記されたのは、昭和13年春の男女ノ川までで、昭和18年5月の照国以降は「横綱大関」と記されています。変更理由は不明。
 余談ですが、雑誌や書籍にある番付や歴代横綱の個人別星取表を見ると、ほとんどが「横綱大関」となっています。
 同じ意味だと言ってしまえばそれまでですが、なるべく番付面に倣うということで。

Re: - gans@作成者

2020/02/26 (Wed) 00:42:39

千代の富士あたりまで、一人横綱は張出ではなかったですか。
曙から枠内になったような記憶があります。
厳密にいうと張出横綱だと思っていますが、
放送とか記事とか、習慣的に一人横綱を張出と呼ぶことがないので
星取表では正横綱としています。

大正13年夏の「横綱大関」について - 紅葉橋律乃介

2020/02/16 (Sun) 19:12:37

常ノ花が「横綱大関」とされていますが、
番附には「大関横綱」と表記されていることを確認いたしました。

Re: - gans@作成者

2020/02/23 (Sun) 11:11:10

紅葉橋さんありがとうございます(・ω・)ノ
星取表を「大関横綱」に書き換えました。
実際の番付は、見た事あるようで無いかも知れません。
「横綱」の二文字は一段下がって小さめに書いてあるタイプですか?

Re: 大正13年夏の「横綱大関」について - 紅葉橋律乃介

2020/02/23 (Sun) 18:35:30

大関の下にかなり小さく書いてありました。
ツイッターのDMで共有させていただきます。

三賞対決 - 勇巖樹 駿昶

2020/02/10 (Mon) 08:59:02

初めまして、勇巖樹 駿昶(ゆうげんじゅ としあき)という者です
今後よろしくお願いします
さて、大相撲千秋楽ならではの楽しみとして、
三賞は誰が受賞するかというものがあります
中には勝てば受賞という場合も多いので、
ならば両者にその条件がという場合もあるかと思いましたが、
意外に少ないことに驚きました
その理由を調べるうえでここはとても役に立っています

Re: - gans@作成者

2020/02/12 (Wed) 19:36:30

ようこそ(・ω・)ノ 難しいお名前ですね。
三賞条件については、特にまとめてないのですが
参考になるところがあれば幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。

Re: 三賞対決 - 勇巖樹 駿昶

2020/02/17 (Mon) 08:30:10

これは昔考えた架空の横綱の四股名なんです
以前から大相撲系の所で使用していました
候補者同士が序盤から中盤までに
対戦を済ませている例が多いということが
ここを見ればよくわかることが役に立っています
(例えば昭和59年9月の多賀竜と小錦)
しかし対戦していない組み合わせでも
そうならないことが多いのはまた疑問です
私が割を決めるなら千秋楽に限っての楽しみとして
積極的に使う方法なんですけどね

東西連盟大相撲 - やまびこ勘太郎

2019/07/13 (Sat) 21:39:45

大正14年11月の東西連盟大相撲第1回前半星取表で、
東京方西前頭17枚目綾錦は、成績が「7勝3敗」
とありますが、白星が8個あります。
どうやら、2日目の片ノ濱戦が黒星になるようです。

また、東前頭9真砂石の7日目の相手が綾鬼になって
いますが、正しくは綾錦のようです。

Re: 東西連盟大相撲 gans@作成者

2019/07/18 (Thu) 20:44:01

ありがとうございます(・ω・)ノ
当時の新聞や雑誌を調べて、全体的に見直ししたいところです。
できれば十両も含めて作りたいところですが・・
修正しばらく時間を下さい・・

Re: gans@作成者

2019/09/29 (Sun) 09:24:58

全3回の東西合併大相撲、星取表の見直しと
十両星取表の追加を行いました(・ω・)ノ

Re: 東西連盟大相撲 - 田口茂

2019/10/18 (Fri) 09:30:13

大正15年3月東西連盟大相撲10日目

清瀬川ー宮城山戦が不戦勝になっていますが、同じ10日目の三杉磯ー桂川戦も不戦勝のようです。三杉磯の不戦勝ち。
大相撲昭和38年2月号、清水健児氏の記事より。

Re: 東西連盟大相撲 - やまびこ勘太郎

2019/10/20 (Sun) 00:00:26

おお素晴らしい、十両の星取表も載せていただいたのですね。
楽しみが増えました。

Re: - gans@作成者

2020/02/02 (Sun) 19:43:24

関西圏の当時の新聞で、十~十一日目に不戦勝を適用するといった注釈の書かれた星取表が載っていました。
それに従い、田口様ご指摘のように三杉礒は不戦勝という扱いに変更しました。
昭和2年10月の不戦に関する記事も見てくれば良かったですが、忘れてしまいました。

昭和50年前後の城錦 - やまびこ勘太郎

2019/12/14 (Sat) 22:52:41

昭和50年ごろに幕下で活躍した城錦という力士がいます。
最高位は50年11月場所の西幕下筆頭ですが、どなたかこの力士の下の名前がわかる方いらっしゃいませんか?
この頃からの幕下上位の力士を調べているのですが、この城錦は幕下筆頭まで行ったのに下の名前がわかりません。
「相撲レファレンス」にも上の名前しか出ていないんです。

Re: 昭和50年前後の城錦 相撲史研究者・田中 健

2019/12/15 (Sun) 08:42:12

 当方所蔵の昭和50.11番附をみました。
「東京 城錦 宏明」と西“大頭”に書いて
あります。100%正確な回答でした。

Re: 昭和50年前後の城錦 - やまびこ勘太郎

2019/12/15 (Sun) 19:52:23

田中様
わざわざお調べいただきありがとうございます。
本名が「山田 城」なので、下の名前は本名ではないだろうと思っていましたがやはり本名とは違う名前でしたか。
おかげで、当方資料の空白部分を埋めることができました。


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