星取掲示板

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明治時代の一人横綱 - 田口茂

2020/02/25 (Tue) 16:33:19

「日本相撲史」によると、明治時代の一人横綱は、番付面では欄外に記入されており、厳密にいうと張り出し横綱ではないでしょうか。該当力士は西ノ海、小錦、大砲。
その内小錦は、大関不在の時に、大関を兼ね「大関横綱」として番付の枠内に記入されています。29年夏から31年春まで4場所。
 番付上で「正横綱」として初めて記入されたのは明治38年夏の梅ケ谷、常陸山から。直前の3場所は大関不在で「大関横綱」と表記されました)
 番付上、初めて「横綱」と言う文字が現れたのは明治24年春。それから実に14年後に「正横綱」が出現したということになります。

追記
「大関横綱」という表記があったとは知りませんでした。今までてっきり「横綱大関」とばかり思っていました。
 調べてみると番付面で「大関横綱」と表記されたのは、昭和13年春の男女ノ川までで、昭和18年5月の照国以降は「横綱大関」と記されています。変更理由は不明。
 余談ですが、雑誌や書籍にある番付や歴代横綱の個人別星取表を見ると、ほとんどが「横綱大関」となっています。
 同じ意味だと言ってしまえばそれまでですが、なるべく番付面に倣うということで。

Re: - gans@作成者

2020/02/26 (Wed) 00:42:39

千代の富士あたりまで、一人横綱は張出ではなかったですか。
曙から枠内になったような記憶があります。
厳密にいうと張出横綱だと思っていますが、
放送とか記事とか、習慣的に一人横綱を張出と呼ぶことがないので
星取表では正横綱としています。

大正13年夏の「横綱大関」について - 紅葉橋律乃介

2020/02/16 (Sun) 19:12:37

常ノ花が「横綱大関」とされていますが、
番附には「大関横綱」と表記されていることを確認いたしました。

Re: - gans@作成者

2020/02/23 (Sun) 11:11:10

紅葉橋さんありがとうございます(・ω・)ノ
星取表を「大関横綱」に書き換えました。
実際の番付は、見た事あるようで無いかも知れません。
「横綱」の二文字は一段下がって小さめに書いてあるタイプですか?

Re: 大正13年夏の「横綱大関」について - 紅葉橋律乃介

2020/02/23 (Sun) 18:35:30

大関の下にかなり小さく書いてありました。
ツイッターのDMで共有させていただきます。

三賞対決 - 勇巖樹 駿昶

2020/02/10 (Mon) 08:59:02

初めまして、勇巖樹 駿昶(ゆうげんじゅ としあき)という者です
今後よろしくお願いします
さて、大相撲千秋楽ならではの楽しみとして、
三賞は誰が受賞するかというものがあります
中には勝てば受賞という場合も多いので、
ならば両者にその条件がという場合もあるかと思いましたが、
意外に少ないことに驚きました
その理由を調べるうえでここはとても役に立っています

Re: - gans@作成者

2020/02/12 (Wed) 19:36:30

ようこそ(・ω・)ノ 難しいお名前ですね。
三賞条件については、特にまとめてないのですが
参考になるところがあれば幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。

Re: 三賞対決 - 勇巖樹 駿昶

2020/02/17 (Mon) 08:30:10

これは昔考えた架空の横綱の四股名なんです
以前から大相撲系の所で使用していました
候補者同士が序盤から中盤までに
対戦を済ませている例が多いということが
ここを見ればよくわかることが役に立っています
(例えば昭和59年9月の多賀竜と小錦)
しかし対戦していない組み合わせでも
そうならないことが多いのはまた疑問です
私が割を決めるなら千秋楽に限っての楽しみとして
積極的に使う方法なんですけどね

東西連盟大相撲 - やまびこ勘太郎

2019/07/13 (Sat) 21:39:45

大正14年11月の東西連盟大相撲第1回前半星取表で、
東京方西前頭17枚目綾錦は、成績が「7勝3敗」
とありますが、白星が8個あります。
どうやら、2日目の片ノ濱戦が黒星になるようです。

また、東前頭9真砂石の7日目の相手が綾鬼になって
いますが、正しくは綾錦のようです。

Re: 東西連盟大相撲 gans@作成者

2019/07/18 (Thu) 20:44:01

ありがとうございます(・ω・)ノ
当時の新聞や雑誌を調べて、全体的に見直ししたいところです。
できれば十両も含めて作りたいところですが・・
修正しばらく時間を下さい・・

Re: gans@作成者

2019/09/29 (Sun) 09:24:58

全3回の東西合併大相撲、星取表の見直しと
十両星取表の追加を行いました(・ω・)ノ

Re: 東西連盟大相撲 - 田口茂

2019/10/18 (Fri) 09:30:13

大正15年3月東西連盟大相撲10日目

清瀬川ー宮城山戦が不戦勝になっていますが、同じ10日目の三杉磯ー桂川戦も不戦勝のようです。三杉磯の不戦勝ち。
大相撲昭和38年2月号、清水健児氏の記事より。

Re: 東西連盟大相撲 - やまびこ勘太郎

2019/10/20 (Sun) 00:00:26

おお素晴らしい、十両の星取表も載せていただいたのですね。
楽しみが増えました。

Re: - gans@作成者

2020/02/02 (Sun) 19:43:24

関西圏の当時の新聞で、十~十一日目に不戦勝を適用するといった注釈の書かれた星取表が載っていました。
それに従い、田口様ご指摘のように三杉礒は不戦勝という扱いに変更しました。
昭和2年10月の不戦に関する記事も見てくれば良かったですが、忘れてしまいました。

昭和50年前後の城錦 - やまびこ勘太郎

2019/12/14 (Sat) 22:52:41

昭和50年ごろに幕下で活躍した城錦という力士がいます。
最高位は50年11月場所の西幕下筆頭ですが、どなたかこの力士の下の名前がわかる方いらっしゃいませんか?
この頃からの幕下上位の力士を調べているのですが、この城錦は幕下筆頭まで行ったのに下の名前がわかりません。
「相撲レファレンス」にも上の名前しか出ていないんです。

Re: 昭和50年前後の城錦 相撲史研究者・田中 健

2019/12/15 (Sun) 08:42:12

 当方所蔵の昭和50.11番附をみました。
「東京 城錦 宏明」と西“大頭”に書いて
あります。100%正確な回答でした。

Re: 昭和50年前後の城錦 - やまびこ勘太郎

2019/12/15 (Sun) 19:52:23

田中様
わざわざお調べいただきありがとうございます。
本名が「山田 城」なので、下の名前は本名ではないだろうと思っていましたがやはり本名とは違う名前でしたか。
おかげで、当方資料の空白部分を埋めることができました。

史料集成江戸時代相撲名鑑 - 鵬鵬

2019/12/10 (Tue) 17:53:07

史料集成江戸時代相撲名鑑を入手しましたが、全番付網羅じゃないんですね。ということは欠けている場所にしか登場しない力士は未掲載ということになりますよね。
確かに番付からひとりひとり力士をピックアップして行くのは想像を絶する作業だと思いますし、大変な労作だということはわかりますが、7万円は安い値段ではないのだから、せめて欠番付もあることを注記すべきでしょう。
不足分は相撲博物館で複写するとか、なにか方法はなかったのでしょうか。
大作なだけに残念です。

Re: 史料集成江戸時代相撲名鑑 - しろしたかれい URL

2019/12/14 (Sat) 18:09:26

主に改名のチェックに重用していますが、間違い、抜け、混同は少なくないです。
相撲起顕に収録されている番付は本物はチェックしていないようですし寛政10春11冬12春は三段目以下は載っていません。
自分はあくまで参考として可能ならば他の資料で補強するという使い方です。

Re: 史料集成江戸時代相撲名鑑 - やまびこ勘太郎

2019/12/14 (Sat) 22:20:05

私もだいぶ前に思い切って(古書ですが)買いました。
たいへんな労作で、いろいろ重宝していて、高価な本なのにボロボロになりつつありますが、至るところに間違いがあるので必ずしも信用しないで使う必要があります。また、おっしゃるとおり載ってない本場所がかなりあります。たぶん参照した資料の中になかったんでしょうね。
それと、これだけの書物を上梓しながら、編者は大相撲に対する造詣がそう深くないように感じます。理解が十分ならこういう書き方はしないだろうという部分が相当あります。

Re: 史料集成江戸時代相撲名鑑 相撲史研究者・田中 健

2019/12/15 (Sun) 08:46:41

 誤謬・脱落の多いこともマイナスイメージ
ですが、「巡業番附」と「本場所番附」とを
“同列”にあつかっているのが最も遺憾なこと。
巡業番附では相当下位力士だって「大関」に
される場合があったのですから…。

無題 - BGM2

2019/11/10 (Sun) 02:13:38

こんにちは。

大相撲再現ゲームを始めました。
https://youtu.be/vrbaSvI0BUE

良かったらお越しください。

根拠は…? 相撲史研究者・田中健

2017/10/25 (Wed) 08:56:17

 天保六(1835)年春場所、元大関緋縅が
「張出」(関脇格)となっていますが、相撲
博物館や西尾市岩瀬文庫に所蔵されている
番附には何れも西方欄外に緋縅の名はあり
ません。
 “改訂”版番附が発行されたとする根拠を
お教えください。

Re: - gans@作成者

2017/10/26 (Thu) 21:36:36

参考資料は「大相撲人物大事典」(2001年BBM社)です。
番付資料p.546 張出に緋縅とあり、注釈として
「緋縅は西関脇格。緋縅欠の番付もある」とのことです。
実際の番付は確認しておりません。

Re: 根拠は…? 相撲史研究者・田中健

2017/10/29 (Sun) 08:43:03

 昭和30初の吉葉山、同春の鏡里を「横綱大関」
とミスした『大相撲人物大事典』を100%信頼
できるでしょうか…。全番附を確認された〔?〕
HP相撲評論家之頁にも「緋縅西関脇格番附外出
場」とあります。それに『相撲起顯』の番附も
緋縅が欄外に載っていません。

Re: - gans@作成者

2017/12/25 (Mon) 02:04:44

そういう番付もあると書かれている以上は無視もできず、
存在しないことの証明というのは大変難しいと思いますが
何とも判断しにくいので、これについては保留とさせて下さい。

Re: 根拠は…? - しろしたかれい

2018/06/04 (Mon) 19:05:19

現在発売中の大相撲中継夏場所決算号の104ページに緋縅が張り出しの天保6年正月の番付が載ってます。

Re: - gans@作成者

2018/06/13 (Wed) 01:22:56

あったんですね!緋縅の載っている番付が。
良かったです。教えて頂いてありがとうございます。

Re: 根拠は…? 相撲史研究者・田中 健

2019/06/09 (Sun) 14:13:31

 相撲博物館その他に所蔵されてないばかりか、
『相撲起顯』にも不掲載の番附は、“非公式”の
ものと愚考。
 H藩関係者の“圧力”で極めて少部数発行された
と大胆に推察したいと思います。

Re: 根拠は…? - 鵬鵬

2019/06/22 (Sat) 21:28:13

番付が実在する以上、「張出」(関脇格)の記述はそのまま残すべきだと思います。推察はどこまで行っても推察に過ぎません。

Re: 根拠は…? 相撲史研究者・田中 健

2019/10/20 (Sun) 21:41:39

 『相撲起顯』では、天保五(1834)年冬場所の
西大関を“改訂版”とされる秋津風の方を掲載。
 翌六年春場所の西方欄外「緋縅」が改訂版なら
ば、それが『…起顯』に載っていない理由を説明
していただきたい。

Re: 根拠は…? - やまびこ勘太郎

2019/10/20 (Sun) 23:40:12

議論が噛み合ってませんねえ。
gansさんは「改訂版がある」なんて言ってませんよ。
そういう番付もある、という話です。なぜそれが
「改訂版」だとわかるんですか?

Re: gans@作成者

2019/10/24 (Thu) 21:17:03

皆さんありがとうございます。やまびこさんが書いて下さったように、そういう番付もあるのなら無視できないと最初に書いたと思います。わざわざそれを無かったこととするに十分な理由を持ち合わせていません。
明らかなニセ番付ならともかく、相撲博物館に置いてないとか、相撲起顕に載っていないから、では理由として不十分だろうと思います。

横綱2連続不戦敗は不自然 相撲史研究者・田中 健

2019/04/27 (Sat) 08:35:09

 昭和二年十月〔於京都〕場所、十日目の
宮城山─白岩は、横綱の「不戦敗」に非ず、
両力士とも「や」が正しい。東方の得点83
と、白岩の不戦勝を算入すれば、符合しま
せん。
 下位力士なら兎も角、横綱の2日連続不戦敗は
不自然ではないでしょうか…。

Re: 横綱2連続不戦敗は不自然 - 田口茂

2019/05/17 (Fri) 18:59:25

同感です。
西方の得点の中に不戦勝が含まれているのは星甲、常ノ花だけです。白岩は含まれていません。
宮城山と白岩、両者とも「や」が正解。

その根拠として
昭和37年の「大相撲」誌に掲載された記事を紹介します。
著者清水健児氏

『当時不戦勝制度は必ずしも10日目、11日目の全取組に適用したわけではなく、
1、団体戦として東西幕内優勝争いに、とくに影響ある場合
2、個人優勝者の決定に関係ある場合に限り適用されたもので、昭和3年1月までに不戦勝を適用された取り組みは、次の3番。

昭和2年10月11日目 星甲ー外ケ浜、常ノ花ー宮城山
昭和3年1月10日目 常陸岩ー西ノ海

上記の常陸岩の不戦勝が大きな社会問題になり、三杉磯との間に優勝争いの紛糾が生じたため、次の3年3月場所以後、11日間を通じ十両幕下全員にも不戦勝を適用し、かつ不戦勝力士は土俵上で行司から勝つ名乗りを受けるようになった。中略
なお、星取表に不戦勝、不戦敗として◻︎、▪️の符号を採用したのは私が初めて「昭和相撲大観」に用いたものである。』

昭和50年、相撲協会監修の「近世日本相撲史」が発行され、昭和2年10月の宮城山の10日目、11日目は連続不戦敗となっている。10日目も不戦勝が採用されたというのが、この本の主張。
以降、この主張が、公式見解となったのかはわかりませんが、その後出た単行本、雑誌、書籍も全部それにならっている。このサイトも相撲レファレンスも。

Re: 横綱2連続不戦敗は不自然 - 田口茂

2019/05/17 (Fri) 23:02:18

訂正

東方得点83、西方得点91。勝ち星合計。この数字は協会発表で、当時の新聞紙上に掲載されました
東方得点83 の中には常ノ花の不戦勝が含まれている。
白岩の不戦勝は含まれていない。
西方得点91の中には星甲の不戦勝が含まれている。

従って10日目の宮城山ー白岩は、両力士とも「や」である。優勝とは関係ない一番。

問題は千秋楽の常ノ花ー宮城山。宮城山が休むとわかっているのに、何で割返しをしなかったのか。10日目から千秋楽まで3日目間雨で順延した。いくらでも割返しの時間があったはず。
常ノ花の千秋楽は不戦勝で、この場所10勝1敗で優勝。(この時代は上位優勝)
貧乏くじを引いたのは西大関の能代潟。急に出来た不戦勝制度のお陰で、10勝1敗を上げながら次点に終わる。

Re: 横綱2連続不戦敗は不自然 - 岩渕剛

2019/05/22 (Wed) 11:09:44

割り返しのことは、逆に順延が続いたから、再出場を考えていたのかもしれません。1956年9月の若ノ花は、13日目不戦敗、14日目休場で、千秋楽に再出場を期して割をくんでもらったけれど、結局出場できずに不戦敗、という例がありますので、宮城山も同様のことを考えていたという可能性もあります。

Re: gans@作成者

2019/09/29 (Sun) 09:22:33

だいぶん月日が経ってしまいましたが、色々とご教示いただきありがとうございます。
東方の得点が合わないことについては疑問を持っていましたので、
このたび白岩-宮城山を「や」と変更いたしました。
団体優勝争いに関係あるとして千秋楽の星甲に適用するなら、十日目の
白岩にも適用で良いんではないかという疑問は残ります(;・ω・)

Re: 横綱2連続不戦敗は不自然 - つるさん

2019/10/06 (Sun) 11:03:16

平成10年9月の「相撲」誌によると、
協会発行の星取表、決まり手付き勝負付に
白岩(不戦勝)宮城山
との記載で、協会の公式資料がそうなってるようです。
相撲誌の記事では、東方の点数の方が直す必要があるのでは、と記載されてます。

Re: gans@作成者

2019/10/07 (Mon) 13:54:34

情報ありがとうございます(・ω・)ノ
不戦勝の方が正しいという根拠もあるんですね。
なかなか正解が見出しにくいので、自分でも色々と資料に当たり、判断を決めたいと思います。
「や」と変更したばかりですが、不戦勝に戻すかも知れません。

Re: 横綱2連続不戦敗は不自然 - 田口茂

2019/10/18 (Fri) 10:35:31

東83西91というのが協会の正式発表ではないでしょうか。
当時の新聞紙上も掲載され、10月16日付の大阪朝日新聞の千秋楽の記事には「宮城山、外ヶ浜の相手力士は不戦勝を得た」という記事があります。
従って、この場所は千秋楽の常ノ花、星甲だけに、不戦勝を与えたことは明確です。

たしかに団体や個人の優勝に関係ない星甲ー外ケ浜が不戦勝になったのは疑問ですが、優勝争いが激しくなったときの故意の休場を防ぐ為に、千秋楽の全取組に不戦勝を適用したのかも知れません。

「近世日本相撲史」に掲載された白岩ー宮城山の不戦勝というのは、いわば「後付け」ではないでしょうか?
念のため、点数を確認したところ、東83西91と、直ってなかったです。そのまま。
ブリタニカが発行した「昭和の大相撲・資料編」でも、今回の昭和2年10月京都場所の星取表を確認したところ、白岩ー宮城山戦は不戦勝になっていましたが、点数は東83、西91とそのままでした。
これには、この場所の10日目、千秋楽に限って、不戦勝を採用したとありますが、だとすると東方の点数は84でなければなりません。

この当時、関西本場所で、しかもまだ東京本場所の番付には影響がなかったということで、協会は正式な星取表や勝負付けを発行しなかったようです。

「野球界、昭和3年春場所相撲号」の星取りには不戦勝という記号はなく、すべて「や」、不戦勝の記号に、□■が初めて使われたのは、それから10年後の昭和12年発行の清水健児著の「昭和相撲大観」でした。
これには10日目の白岩ー宮城山は双方「や」となっています。



明治45年春の四海波 - しろしたかれい URL

2019/09/04 (Wed) 00:02:51

スレッドは流れてしまいましたが以前この掲示板で話題になった明治45年春の八陣改め四海波ですが、取組順を検証してみました。

四日目中入前
土州山 東前頭2 浪ノ音 西前頭8
緑 嶋 東前頭3 四海波 西番付外
玉 椿 東関脇 大ノ川 西前頭6
五日目中入後
緑 嶋 東前頭3 西ノ海 西張大関
國見山 東大関 四海波 西番付外
土州山 東前頭2 常陸山 西横綱
六日目中入後
黒瀬川 東前頭4 小常陸 西前頭2
玉 椿 東関脇 四海波 西番付外
梅ケ谷 東張横綱 相 生 西関脇
七日目中入後
伊勢濱 東前頭1 龍ケ崎 西前頭1
 鳳  東小結 四海波 西番付外
國見山 東大関 駒ケ嶽 西大関
八日目中入前
緑 嶋 東前頭3 浪ノ音 西前頭8
土州山 東前頭2 四海波 西番付外
大蛇潟 東前頭10 龍ケ崎 西前頭1
九日目中入後
土州山 東前頭2 千年川 西前頭3
玉手山 東前頭7 四海波 西番付外
 鳳  東小結 綾 浪 西前頭4
千秋楽中入後
有 明 東前頭6 小常陸 西前頭2
伊勢濱 東前頭1 四海波 西番付外
土州山 東前頭2 西ノ海 西張大関

四海波の地位検証に使えるのは四日目と九日目ですが前頭1格(竜ケ崎よりは下)とみるのが矛盾がないようです。
大阪では移籍直前の明治44年春まで関脇ですし明治43年夏は優勝同点ですから、放駒改め相生のように三役格とはいかずともそれに準ずる扱いは受けていたようです。

Re: gans@作成者

2019/09/29 (Sun) 09:41:06

深い考察をありがとうございます(・ω・)ノ
明治45年春の四海波を前頭筆頭格に変更しました。
日数がたってしまい申し訳ありません。


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