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華吹勝ち越し - 田口茂

2021/01/22 (Fri) 11:06:49

50歳の序ノ口力士華吹が勝ち越し。
日刊スポーツによると明治38年5月若木野以来116年ぶりの50代勝ち越しだという。
しかし、当時の幕下下位の星取表は現存するのだろうか。
酒井日本相撲史での星取表では幕下上位までです。
日刊スポーツ紙が独自に相撲博物館に問い合わせしたということなのだろうか。勝敗数の記述はありません。

なお、貴景勝が休場して今場所は関取が17人が休場。このことをマスコミは「戦後最多」と報道しましたが、もちろん戦前にもありません。
「史上最多」です。

Re: - gans@作成者

2021/02/10 (Wed) 00:49:27

新聞で追うと、38年5月の若木野は
二日目○達上、四日目○千舟崎まで確認できました。
相撲博物館にはちゃんとまとめられているのでしょうか。
それに50代であることを押さえているあたり、
相撲記事に関しては日刊スポーツ結構頑張っている感じがします。

Re: 華吹勝ち越し - ひげの庄之助

2021/02/23 (Tue) 22:02:30

明治27年1月の勝負付がありますが
初日~10日目まで三段目中位ぐらいから掲載されています。
幕下であれば星取は判明しているはずです。

秀ノ山か秀の山か(続き) - 田口茂

2021/02/18 (Thu) 17:41:18

たびたびすいません。

◎相撲評価家之頁
嘉永2年春のみ、秀ノ山
田中様の見解と同じです
◎相撲レファレンス
嘉永2年春、2年冬、2場所のみ秀ノ山
ここの星取表サイトと同じ見解

そこで、ネットで「相撲起顕」を検索し、当時の番付と勝負付を見てみました。嘉永2年春と冬(3月と11月)の番付を拝見したところ、いずれも「秀の山」のままになっています。あれっと思いました。私の見間違いでしょうか?
何度も確認しました。それだと「秀ノ山」への改名はなかったことになります。
いずれにしろ「秀の山雷五郎」の名で土俵に上がったことを確認しました。
ちなみに当時の勝負付けを見ると「秀ノ山」と記述されています。ついでに他の力士を見てみると省略しているのがあります。
例えば武蔵川を「むさしがわ」と記述されています。ですから「秀の山」も簡略して「秀ノ山」と。当時の勝負付は、必ずしも番付のとうり書いてないようです。難しい字は簡略化。

最後に疑問が浮かびました。
酒井忠政、山本義一両氏は、相撲史研究の第一人者ですが、自らの「書籍」で何で「秀ノ山」と記述したのでしょうか。「歴代横綱力士碑」での記述を優先したのでしょうか。今となってはわかりません。

Re: 秀ノ山か秀の山か(続き) 相撲史研究者・田中 健

2021/02/19 (Fri) 08:05:04

 『相撲起顯』収載の番附は、本もの番附とは
鳥渡ばかり別物と考えた方がいいと思います。
 当時、“縮刷”の技術はなかったのではないで
しょうか……。

Re: 秀ノ山か秀の山か(続き) - やまびこ勘太郎

2021/02/21 (Sun) 23:14:47

これはしろしたかれいさんの得意分野ですが、相撲起顕は、田中さんのおっしゃるとおり、縮刷ではなく、新たに版木を起こしたものだったと思います。なので、原典の番付などと違うところもあるとのこと。

なお、四股名の用字の違いは、改名の場合もあるでしょうが、単に番付の書き手の書きグセや思い違いでしかないこともあったような気がします(検証は難しいですが)。特に錦絵や市販の「金剛伝」の類は怪しいと思っています。

秀ノ山か秀の山か? - 田口茂

2021/02/15 (Mon) 12:22:06

この星取表では「秀の山雷五郎」になっていますが、日本相撲史では「秀ノ山雷五郎」になっています。
そこに掲載されている錦絵でも、御丁寧に「秀ノ山雷五郎」と記述されていました。「秀の山」になる何らかの理由があるのでしょうか?
(ちなみに、この星取表サイトの横綱一覧では「秀ノ山」でした)
基本的には番付に載っている四股名のものが正式と思われます。
念のため、手持ちの雑誌、書籍を調べて見ましたが、どういうわけかマチマチです。
「秀の山」は、どっちかというと少数派です。相撲協会のサイトは「秀の山」でした。ベースボールマガジン社「横綱大関大鑑」でも「秀の山」。
最新号の「大相撲力士名鑑」は「秀ノ山」。ついでに引退した琴奨菊は「秀ノ山」親方です。

Re: 秀ノ山か秀の山か? 相撲史研究者・田中 健

2021/02/15 (Mon) 21:24:04

 横綱力士の場合は、嘉永二年春のみ「秀ノ山」で、
他の本場所番附は「秀の山」と表記しています。
 尚、元関脇笠置山の秀ノ山理事が相撲博物館〔於
蔵前〕で当時の「横綱秀の山」番附を閲覧して、
それにあやかり「理事」欄へ“平仮名”にするよう
に…。けれど、「年寄名跡」目録はずっと“カタカナ”
だと思われます。

Re: 秀ノ山か秀の山か? - 田口茂

2021/02/17 (Wed) 08:36:16

本場所の番附表記は「秀の山」でしたか。ありがとうございました。
このサイトによると天保15年10月、3日目より岩見潟から「秀の山」と改名。嘉永2年2月、11月。2場所だけ「秀ノ山」。最終場所3年3月は「秀の山」。
最後の3場所は全休ですので、土俵に上がったときの四股名は「秀の山」のみということになります。

しかし、酒井日本相撲史、山本義一氏の「古今名力士100傑伝」などでは、その辺の言及が一切なく「秀ノ山」で通しています。
私は長年、読売大相撲の愛読者で、そこでよく掲載されていた「歴代横綱一覧」「宝暦以来の番附一覧」でも、一貫して「秀ノ山雷五郎」。
その中で、個人の論文で「秀の山」と記述しているのは三宅充氏と小池謙一氏。
同じ大相撲誌内でも統一されていませんでした。

Re: 秀ノ山か秀の山か? - 田口茂

2021/02/17 (Wed) 13:28:01

東京深川に歴代の横綱碑があります。
これは12代目横綱陣幕が、引退後に建てたもので、それには「9代目横綱秀ノ山雷五郎」と記載されています。
これは推測ですが、多くの相撲関係者は、このことを基本として研究しているものと思われます。

「秀ノ山」が公式見解と思いきや、協会のホームページは「秀の山」。これがいっそうわけをわからなくしている。
江戸の当時、何で「秀の山」にしたのかというと、私の個人的見解では、師匠の秀ノ山と区別するためなのか?
当時の錦絵は「秀ノ山雷五郎」
もうこうなるとミステリーとしか言いようがありません。
「ノ」と「の」。どっちでもいいと言われるとそれまでですが。

秀の山で思い出すのは、かってテレ朝で放映された大相撲ダイジェストの名物解説者。元笠置山でインテリ力士といわれました。
その後、「秀の山」というのは、いつの間にか出羽ノ海部屋から佐渡ケ嶽部屋に移り、元の「秀ノ山」に戻ったようです。長谷川や琴錦らが一時名乗りました。

天保五年、六年 - しろしたかれい URL

2021/01/06 (Wed) 22:09:00

天保五年、六年の二段目星取について酒井日本相撲史および相撲起顕の誤りに起因する指摘がありますのでお知らせします。

天保五年春
東二8藤川の六日目および東二4柏山の七日目の相手の高浪は西二16高濱の誤り。

天保五年冬
東二6柏山は七日目より四ツ車に改名。7●黒雲、8○関谷野、9○相生、10休。
西二7春日渕の六日目の相手荒滝(東二13だが西から出場)は東二12荒鬼の誤り。

天保六年春
東二9滝ノ音の八日目の相手が黒金(東三6)とあるが起顕の誤りで黒金の相手は西三3滝能登(たきのと)が正しい。滝ノ音は休。

天保六年冬
東二4二所ノ関の七日目の相手が栂ノ峰とあるが起顕に従うなら六日目に象ケ鼻に改名している。

また誤りではありませんが天保五年冬には東方滝ノ音、温海嶽、西方綾川、黒雲、朝風、天津風が二段目上位格で出場しています。
黒雲(不知火)、天津風(秀ノ山)は後の横綱ですし記載されてもいいかも知れません。
黒雲 1-6休、7○四ツ車、8○立花、9○稲荷山、10○滝ノ音
天津風 1-6休、7○和田ケ原、8●稲荷山、9○滝ノ音、10休

Re: - gans@作成者

2021/01/09 (Sat) 07:25:03

しろした様、情報ありがとうございます!(・ω・)ノ
直させて頂きます。
まだ作業はこれからですが、取り急ぎお礼まで。
深く研究していると、まだ色々出てくるものなんですね。

Re: 天保五年、六年 相撲史研究者・田中 健

2021/01/15 (Fri) 21:49:05

 昭和十五年刊、山本義一著『…古今名力士百傑傳』
の不知火(諾)・秀の山━両横綱の星取表をみると、
御指摘の場所7日目~にちゃんと載っております。

Re: - gans@作成者

2021/02/10 (Wed) 00:28:56

せっかく教えて頂いてから1ヶ月も経過してしまいましたが、修正作業いたしました。しろした様本当にありがとうございます。
5年冬はしろした様のサイトを参考に、挙げて頂いた6人全て掲載しました。

昔の星取表(幕下以下)を調べたい - 星取表大好き

2020/11/11 (Wed) 20:11:59

昭和63年以前の星取表(幕下以下)を調べたい。どうやって調べる?教えてください。

Re: 昔の星取表(幕下以下)を調べたい 相撲史研究者・田中 健

2020/11/12 (Thu) 08:04:53

 星取表と云っても色んな種類がありますよ。
○●だけのもの、対戦相手がついてるもの、
個人別ならば相手の地位も附記するのが
百点満点だと愚考してます。

Re: - gans@作成者

2020/11/14 (Sat) 14:12:13

協会公式の星取表は対戦相手ついてないですからね…
昭和2年~39年は近世日本相撲史に載ってますが、そういうやつです。
対戦相手までとなると現実的には図書館などで過去の相撲雑誌をあたるしかないかなと思います。展望号などに対戦相手つき星取表が載りますが、昭和の頃はどうでしたっけ。

Re: Re: - 星取表大好き

2020/11/14 (Sat) 16:21:10

そうですね。ありがとうございました

Re: 昔の星取表(幕下以下)を調べたい - 鵬鵬

2020/11/16 (Mon) 17:31:03

私が買い始めた昭和40年頃には確か展望号に対戦相手つき星取表が載ってたと記憶してますが、古書で入手した35年頃のにはなかったですね。
なので昭和30年代以前はかなり困難かと思われます。

Re: 昔の星取表(幕下以下)を調べたい - 田口茂

2020/11/18 (Wed) 10:29:20

 古本屋で、戦前の相撲雑誌「野球界」を購入したことがあります。そこには幕下以下をはじめ全力士の対戦相手つき星取表が掲載されていました。昭和17年12月号で、星取表は17年夏場所。
 その「野球界」の編集長だった池田恒雄氏が、戦後、相撲雑誌を復活。昭和24年9月「ベースボールマガジン別冊相撲号」として発行。その後、昭和27年2月にベースボールマガジン社「相撲」と改題。現在までに至っています。

 現在の「相撲」の展望号には全力士の対戦相手つき星取表が掲載されているわけですが、最初の方の昭和30年代までの「相撲」に、星取表が掲載されているかは未確認です。
 過去のバックナンバー「相撲」を電子書籍として見るなら国会図書館。現物を見るなら横浜市中央図書館。

 余談ですが、「相撲」という雑誌を調べてみると、幕下以下の勝敗が掲載されるようになったのは昭和53年から。決まり手も一緒に掲載されるようになったのは、平成になったからです。

 ご承知のように協会の星取表には、不戦勝不戦敗の区別がありません。□■ではなく○●で処理しています。
 ですから昭和以前の序ノ口以来の通算出場とか連続出場記録というのは厳密にいうと「不確定」です。

Re: 昔の星取表(幕下以下)を調べたい - ひげの庄之助

2020/11/18 (Wed) 16:47:38

戦前の協会機関誌「相撲」をいくつか持っていますが、昭和17年6月号には序ノ口からの勝敗が掲載されています。
星取表があるかは不明です。

ベースボールマガジン社の昭和28年1月号の「相撲」には27年秋の幕下全力士略歴星取表が巻末にあり本名、年齢、部屋、初土俵、身長、体重、得意技とともに新序力士まで掲載されています。
初期から掲載されているようです。

Re: - gans@作成者

2020/11/18 (Wed) 20:08:15

奈良県葛城市の相撲館「けはや座」で大正~昭和初期の相撲雑誌を取材させて頂いたことがありますが、
昭和初期はこんな感じでした。
大正まで遡ると本名やプロフィールはありませんでした。

Re: 昔の星取表(幕下以下)を調べたい - しろしたかれい

2020/11/18 (Wed) 22:02:10

手軽に調べられるのはおなじみ相撲レファレンスですね。
S41.11以降なら幕下以下の成績も対戦相手付きで載っています。
8月の時点ではS43.7以降でしたので徐々にさかのぼって追加されているようです。

雑誌だと野球界相撲号(T6年創刊)にT5.5からS18.5まで(関西本場所はS5年以降)全力士対戦相手付星取表が記載されました。
S11年に大日本相撲協会機関誌として相撲が創刊し協会公式としての全力士対戦相手付星取表が記載されましたが戦況の悪化によりS19.5までで中断。S20.11のみS21年に復刊した合併号に記載されましたが戦後の紙不足により以降続かず。
S24年にベースボール・マガジン社が引き継いでS27年夏場所相撲号にS27.1の全力士対戦相手付星取表が記載され、以後相撲号、展望号に記載されています。

Re: 昔の星取表(幕下以下)を調べたい - 鵬鵬

2020/11/20 (Fri) 17:47:56

逆に古いほうはどうでしょうか。
相撲起顕に関しては、しろしたかれいさんが星取表作成を頑張っていらっしゃって、いつも楽しみに見させていただいてますが、相撲起顕以前の谷風小野川の頃のとか、相撲起顕以後、大正初期までの間は諦めるしかないですかね。
相撲博物館にも資料がないのかしら。

Re: 昔の星取表(幕下以下)を調べたい - ひげの庄之助

2020/11/20 (Fri) 19:52:10

明治27年春の勝負付を見ても三段目中位からしか掲載されてません。
序ノ口、新序からではないです。
明治34年より序ノ口からの掲載だったはずです。

昭和12~14年発行の山本義一著「相撲叢書」は明治元年からの入幕力士の入門以来の星取表ですが、明治中期までの力士は三段目ぐらいまでは不明だったと思います。


神送り - ねこぱんだ

2018/08/10 (Fri) 08:04:14

元横審委員の内舘牧子さんが、『群像』という雑誌にエッセイを書いているのですが、その中で、千秋楽の神送りの出世力士による胴上げが、1957年から中断して21世紀になって復活したという趣旨のことが出てきます。私の記憶では、1970年代初めにも行われていたのをテレビ中継で見た覚えがあるのですが、このサイトをご覧になっているみなさま、いかがでしょうか。

Re: gans@作成者

2018/09/11 (Tue) 00:32:14

難問のようですね(;・ω・)
どなたか答えられる人が見つかるように、
しばらく掲示板の一番上に上げておきますね。

Re: 神送り - ひげの庄之助

2020/11/10 (Tue) 16:56:14

はじめまして。このサイト、掲示板の方々の知識、情報量には驚き、勉強になります。

誰も答えられる方がいないようで調査してみました。
出世力士による胴上げは1958年3月の大相撲画報の御存じですかコーナーの手打ち式の欄に検査役を務めた親方が新弟子たちによって胴上げされるとありました。

たまたまあった1978年発行、グラフ社「大相撲案内」にも手打ち式の説明で「その場所の優勝、三賞力士の一門の審判委員が御幣を手にして出世力士によって胴上げされる」とあり1970年代でも胴上げはされていたようです。
中断されていたかどうかは調査できませんでした。

引分け? 預り? 相撲史研究者・田中 健

2018/10/10 (Wed) 09:00:35

 天保七(1836)年冬場所の三日目、小結鰐石─
“貧乏神”黒雲は『日本相撲史』星取表で引分け
ですが、『相撲起顯』勝負附では「預り」と記載
されています。
 …博物館で三河屋…版原本勝負附での御確認は?

Re: 引分け? 預り? - 鵬鵬

2018/10/21 (Sun) 17:58:36

一年前、緋縅張り出しの件で貴方の呈された疑問に回答を示されている方がいらっしゃるのに、そちらのほうへはなんの返事もなしですか?

Re: gans@作成者

2018/10/22 (Mon) 22:38:39

日本相撲史と相撲起顕で結果が違うんですか。
こういうのは一番困りますね・・
他の資料での確認は特にしておりませんので・・

Re: 引分け? 預り? - しろしたかれい

2020/10/19 (Mon) 19:45:12

相撲博物館所蔵の勝負付によると引き分けだそうです。

Re: - gans@作成者

2020/10/22 (Thu) 12:22:53

しろした様ありがとうございます!(・ω・)ノ

番附の東西に拘泥しないで 相撲史研究者・田中 健

2020/09/07 (Mon) 21:42:37

 天保十年春場所、負越しても番附外の横綱
稲妻を劈頭に置いたのに敬意を表します。
六日目中入り前、大関濃錦里の後に稲妻が登
場しています。
 扨て、同年冬場所、西幕尻の三ッ鱗は全日
東方へ廻って土俵へ…。ですから星取表では
東方力士として扱って慾しいのです。

Re: - gans@作成者

2020/09/09 (Wed) 12:24:54

どの力士がどの番付で、どんな結果を残したかを示すのが星取表だと思っていますので、番付面の地位が重要と考えます。番付面で西方であれば、星取表も西に掲載します。
番付外ならば、対戦相手などから東西どちらに載せるかという判断が出てくるかと思います。

Re: 番附の東西に拘泥しないで - 田口茂

2020/09/10 (Thu) 10:21:13

「日本相撲史」(上)304頁。この場所東方に休場者が多く、西前頭6枚目の三つ鱗は、東方に廻って取った、とあります。東方9人の内、4人全休、2人途中休場。
三つ鱗は西の三役(大関稲妻、関脇不知火、小結天津風)と当てられ、1勝2引き分けの大健闘。

そこで「三つ鱗」という力士について調べてみました。翌、天保11年2月に「錦木塚五郎」と改名。小結4場所。幕内在位わずか6場所で姿を消しました。
「日本相撲史」では引退。このサイトでは死去となってます。
幕内通算26勝10敗10引き分け2預かり1無勝負。
晩年とはいえ大横綱稲妻に1勝1引き分け。後の横綱不知火(諾)に1勝1敗。三役級の力はあったと思われます。

Re: 番附の東西に拘泥しないで - 田口茂

2020/09/11 (Fri) 07:27:58

訂正
「三つ鱗」ではなく、「三ツ鱗」でした。失礼しました。

「●布川」の確認は…? 相撲史研究者・田中 健

2020/05/16 (Sat) 14:35:13

 天保十年春場所、西前5布川の5日目は
「●武隈」とありますが、『日本相撲史』の
ミスで、『相撲起顯』は「武くま 布 川」
とあります。でも、『起顯』だって脱落・誤謬
は少なくありません。
 やはり三河屋版の原本勝負附で“確認”された
のでしょうか。

Re: - gans@作成者

2020/08/01 (Sat) 13:18:37

勝負附けでの確認はしておりません。
(勝)武隈-布川(敗)は誤りで、日本相撲史と相撲起顕
両方が間違ってるという事でしょうか?

Re: 「●布川」の確認は…? 相撲史研究者・田中 健

2020/08/14 (Fri) 22:19:33

 去る三月下旬頃から相撲博物館が“臨時休館”
みたいで、“照会”しての確認できず残念ですが、
常識的に云えば、『相撲起顯』の方が正しく、
『…相撲史』の幕内星取表が誤謬だと思って
おります。布川の総成績を従前のものは訂正
されるべきだと愚考します。

Re: - gans@作成者

2020/08/17 (Mon) 12:31:42

最初の田中さんの投稿では相撲起顕も「○武隈-布川●」であるように解釈したのですが、逆ということですか?

Re: 「●布川」の確認は…? 相撲史研究者・田中 健

2020/08/22 (Sat) 08:17:27

 『日本相撲史』上巻の星取表は、享和元年~
嘉永六年の分を『相撲起顯』に準拠したものと
思われ、『…起顯』のミスを“鵜呑み”にした箇
所と、誤謬に『…相撲史』編纂者が気づいた箇
所、更に相撲史星取表の独自に脱落やミスを
しでかした箇所も……。
 幕内布川─幕下武隈の場合、後者と思われ、
武隈が幕内だったら、何十年も前に当方だって
気づいていたに違いありません。

Re: - gans@作成者

2020/08/23 (Sun) 17:58:54

すみませんが、話が噛み合ってなく、何を言わんとしているのかが全然分かりません。

Re: 「●布川」の確認は…? - 脇

2020/09/04 (Fri) 22:11:31

・日本相撲史上巻では布川、武隈共に勝ちとなっている。
・相撲起顕では武隈勝ち、布川負けとなっている。
・こちらのサイトで武隈勝ち、布川負けと判断した根拠は何か。

ということではないでしょうか。

Re: - gans@作成者

2020/09/05 (Sat) 07:48:20

なるほど、そういうことでしたか。
自分でも覚えてなかったので探してみたところ、
平成7年頃に相撲博物館へ郵便で質問を送り
博物館の草野様よりそのような回答を頂いておりました。

琴風の下の名は - よしき

2020/08/12 (Wed) 00:27:39

このサイトでは初歩的な内容ですが、
大関・琴風豪規

下の名の読みが、各サイトや当時の協会発行パンフレットも含め
「こうき」「ごうき」と「こ」が濁るのか どうかバラバラですが
どちらが正しいのでしょうか。

ベースボールマガジン社発行関係は濁らず「こうき」っで統一しているようですが。

Re: 琴風の下の名は - しろしたかれい

2020/08/27 (Thu) 19:44:07

尾車部屋の公式HPや親方のfacebookにも読みがないので断定はできませんが、平成の初めに出たビデオソフトの昭和の名力士では元NHKの杉山邦博アナのナレーションで「ごうき」と濁って紹介されています。一般的にはごうきで認識されていたと思います。

Re: 琴風の下の名は - 田口茂

2020/08/28 (Fri) 12:03:15

読売大相撲昭和56年11月号では、優勝した琴風の手記が掲載されており、このとき四股名にカナが振ってあり、読み方は「こうき」。
あと「相撲レファレンス」や「大相撲力士名鑑」でも、豪規を「こうき」とカナを振っています。

念のためウィキペディアで調べたら「ごうき」となっていました。普通「豪」という字は、「ごう」と呼ぶのであって、アナウンサーが、そう呼ぶのも無理からぬことです。
なお、豪規という名前の由来の記事は何冊か調べたところありませんでした。何で「こうき」と読ませたかは不明。

読売大相撲昭和50年4月号、幕下訪問という記事で琴風が紹介されています。そのときの名は本名の「浩一」。
「豪規」と改名したのは十両に上がってから。
従って「相撲レファレンス」の、入門2場所目から「豪規」と改名というのは誤り。

Re: 琴風の下の名は - よしき

2020/08/30 (Sun) 23:36:20

皆様ありがとうございます。
「豪」は「ごう」と濁るのが普通ですが「戦後新入幕力士物語 第五巻」の十両力士一覧で、大鵬部屋の翔鵬豪一は「こういち」と濁っておらず、濁らない「こう」の読み方が 他にもいたための質問となりました。

江戸時代の力士ならまだしも、昭和後期の大関 しかも現職事業部長で 読み方表記が まちまちなのも変な感じですが。

大関では貴ノ浪の「貞博」は本人が
「本名は『ただひろ』家族も『ただひろ』と呼んでいるが、入門時の登録が『さだひろ』だった」と言っていた記事を読んだ記憶がありました。


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